修飾語の話

今日は「修飾」の話じゃ。

熟々思ふことがあるんじゃ。学校という場で物を教えるにはカリキュラムという、料理ならレシピがある。どなたかが編み出されたんじゃろう、教える順序から教え方まで、指導要領というのがあって組み上がっておる。高校出たてのわしは、渡米前の二年ほど、講師として母校の中学で英語を教えた。わしはそのとき、その路線に逆らい物議をかもしたのじゃ。その折、わしはつらつら思うた。どこの何方かは知らぬが、なんと効率の悪いレシピを作られたものじゃ、と。今日は、あの頃の思い出を下敷きに、すこし話しをしようと思うのじゃ。

文法の話じゃ。それも修飾語の話、さらに「形容」ということの話じゃ。形容詞と言わなかったじゃろう。わけがあるのじゃ。形容とはものの姿がどうであるか、と示すことじゃ。どんな形であれ、ものの姿を示すことを「形容する」という、当たり前のことじゃ。例えば:

この本、赤い本、棚の上の本、姉がくれた本……..

どれも「本」という名詞をあれこれ形容している様子じゃ。日本語ならなんでもないことを、英語で言うとなると、中学三年にならないと全部言い切れない、ということじゃ。形容詞、形容詞句、形容詞節はレシピが違うからじゃ。一年生に「これは姉がくれた本です」と言えないということじゃ。言ってはいけない、一年じゃ早過ぎる、三年までお預けじゃ、と。

わしは、経験からこれは間違いだと思うている。三年の単元を一年で教えろと言っているのじゃないのじゃ。一年の時で「姉がくれた本」を「形容」の話として、取り上げておけ、と言うのじゃ。形容詞といえば一単語になってしまうから、ただ形容というておくのじゃ。語も句も節もない、形容じゃ。棚の上も、赤いも、姉がくれた、も「本」にしてみれば同じ「形容している部分」と教えておくことが肝心じゃと言うておるのじゃ。

このサイトへご縁があって来られた人には、泌々申し上げておきたいのじゃ。昔、Readers’ Digest の内容を構文で分析したら、第三文型が7割だった、というのを何処かで読んだことがあるのじゃが、数値は違っていてもこの文型が圧倒的に頻度が高いことは確かじゃ。その「文型」のことと、「修飾、被修飾」のこととが把握できれば、ほとんどの原書は読めるのじゃよ。言い換えれば、句と節の絡みが読み取れれば、どんな文でも読めるということなのじゃ。つまりは、修飾部と被修飾部の絡みが文を構成しているという「原理」をどれだけ早く悟れるか、ということじゃ。

だから、わしは言うておる。中学一年にして、すでに「修飾」の源流を知らしめよ、と。一年で関係代名詞を教へよとは言ふておらぬ。形容詞句などという角のある話はせずともよい。ひたすら、形容すること、修飾することの「仕組み」を知らしめよ,と言うておる。賢い子なら関係代名詞は知らずとも、「文章で名詞を飾る」面白さに気づくはずじゃ。そういうものだ、と肌で感じればそれでよい。

苦労して英語を覚えた大人を前に、いまさらのようにこの話をすると、きまってみな眼から鱗の表情をする。これはみな、それぞれの苦労の遠因が学校英語のレシピにあることに、薄々気づいておるからなのじゃ。そもそも学者はみな「体系」を好む。理論付けを好む。これはいわば性だからやむを得ぬが、英語学の成果をそのまま教室に持ち込むのは罪悪じゃ。教室の英語は学問ではない。英語学習は知的スポーツに過ぎない。野球でひたすら球を打つように、英語も「打たねば」上達はしない。何度曲がればカーブだなどと、分析する暇があるなら、バットを持って打つに如くはない。関係代名詞の理屈は「文章でも名詞が飾れる」ことの発見に比べれば、一文の価値もない。

今日は修飾の話じゃったが、如何かな。

ご機嫌よう。

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