「世迷い言」、久し振りにひと言お話ししようか。去年の猛暑がトラウマになって、めっきり夏嫌いになったわしは、とかく筆が鈍りがちじゃ。畑の唐茄子や胡瓜がここぞと蔓を伸ばすさまが、何とも羨ましい。
ところで、暑氣のせいではなかろうが、わしは昨今しきりに氣になることがあるのじゃ。他ならぬ北朝鮮のロケット騒ぎじゃ。ノドンがどうとか火星がどうしたとか、合間に打ち上げに失敗しながら。いまやICBMと称してアメリカ本土まで達するロケットを、それも夜の夜中に打ち上げて機動性を謳いあげるなど、傍目には狂氣沙汰の騒ぎようだ。
諸賢にはその間の状況は先刻ご存知のこと、わしも金正恩体制の狙いが奈邊にあるかは承知のつもりだが、一連のテンションの高さ、國民の熱狂ぶり、對する國際社会の反應などが織り出す状況を眺めながら、わしは「ある状況」を思い出して慄然とするのじゃ。
昭和十六年十二月八日に、わしは六歳じゃった。そんな幼兒に何が分かるかと難じるなかれ。現代の六歳兒ならいざ知らず、当時はあの歳で子供たちはすでに才氣走っておった。とくにわしは、生來の過敏に過ぎる直感から、時代の流れを感じとっておった。「臨時ニュースを申し上げます……」のラジオの聲を拳を握りしめて聞いた思い出は、まるで昨日の出來事のようじゃ。
建艦競争の帰趨とは知らず、六歳のわしは次々に進水する戰艦、驅逐艦、巡洋艦の艦名を殘らず諳(そら)んじ、零戰や隼などの戰闘機には子供らしい夢を載せて大空を馳せたものじゃ。子供らも擧って國を想い、わが國を取り巻く息苦しい「空氣」を呼吸しておったのじゃ。
さて、その「ある状況」じゃが、ある世迷い言と聞いてくだされ。零戰を作り大和武蔵を拵えて世界に胸を張っていたころ、「一億火の玉」と叫んで拳を天に突き上げていたころ、ABCDに退路を断たれ「あの日」を迎えるに至る切羽詰まった日々を思い出す傍ら、いま、満州の権益を核保有國への夢に、零戦や巨大戰艦をロケットに、ABCDを経済制裁にそれぞれ挿げ替えてみて、わしは思わず慄然とするのじゃ。
真夏の夜の夢の如くに、わしにはあの頃の日本の姿にいまの北朝鮮のそれが重なるのじゃ。「あの頃はこんな感じじゃった…」、そんな感慨がしきりに込み上げる。政治力學をどうこう言うのではない。國家的心情という位相で、北朝鮮の立ち位置が分かるのじゃ。閲兵式の熱狂振り、アメリカへの剥き出しの敵愾心、それを報道する聲音の高ぶりなどなど、「あの日」に上り詰めるまでの日本の姿が二重寫しに見えるのは、酷い夏日のせいだろうか。
この先、「満州」はどうなるか、「真珠灣」はあるのかないのか、見るからに組織分裂が著しいトランプ政權がどう動くか、などなど、これは生々しい國際政治のうねりじゃ。左様、國際政治を語りながら、つらつら思うのじゃ。日本は爾来「意志」を失った。語るべきことを語るべき時に、語らんとする気概を失って久しい。「満州」次第では、現下の北朝鮮の動きがあるいはとんだ他山の石になるやも知れぬときに、蕎麦ならぬ「もり」の「かけ」のに現(うつつ)を抜かす暇など、あろう筈がなかろうに。
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