年寄りの冷や水

先日、数年ぶりの酷いめまいに襲われて、しっかり3日間寝込んでしまった。少しでも起きあがると激しい吐き気にみまわれ胃液まで吐いてしまうような有様だったので、動けるようになってからも気をつけて過ごしている。

梟翁と暮らしていたときも、毎年一回は冬にめまいで寝込んでいたものだった。なので、梟翁が去って一人暮らしになってからは寝込むと大変だからと気をつけていた。ちょっとめまいの兆候を感じたら、すぐにゴロゴロ休んで大事に至らないようにしてきたのだ。

けれどこの春、娘夫婦の同居と道の駅への出品という、環境の変化が重なってしまった。ひとつひとつは大して負担にならない程度なのだけど、相互作用でじわじわと疲れが溜まったのだろう。

特に4月に入って桜が散った辺りから、花々が咲き満ちて木々の芽が吹き出し、全てが活き活きと輝くような陽気のなか、若返ったかのように錯覚してあれもこれもと気分良く動きすぎたのだ。二日連続で遠出の句会をこなした後にしっかり休養を取らず、庭仕事だなんだと動き続けたのが致命的だった。娘夫婦に対して「どう?まだこんなに動けるのよ!」という見栄の気持ちがなかったとは言えない。寝込んでも頼れる同居人がいるという油断がなかったとも言えない。

実際、鶏の餌に使うオカラの受け取りに代わって行ってもらったり、飲み物食べ物を用立ててもらったりと、同居人のいる有り難さをしみじみ感じることとなった。

痛い目をみて「とうとう気持ちに体がついていかなくなったなあ」と実感した。ちょっとの無理が祟ってしまう。娘に「お母さんは動き過ぎだよ」と忠告されてうなずくほかなかった。今年の誕生日で高齢者の仲間入りをするのだから、立派なおばあさんなのだ。体力の衰えを自覚して年寄りの知恵で無事に乗り切っていかなければ、と自戒している。

思い返せば同年代の梟翁は体力も気力もすごかった。彼とて動きすぎてめまいで倒れたこともあったけれど、私とは軽自動車とダンプカーくらいの違いがあったと思う。極めつけは84才で桜の大木を切ったこと。一見すると無茶なことでも、用意周到に年寄りの知恵を発揮して無事に成し遂げたのだった。(参照→老桜よ、さらば )

庭のあちこちでドクダミのつぼみが膨らんでいる。ドクダミ茶作りを頑張れよ、と催促するかのようだ。玉ねぎもかなり膨らんできているので、近いうちに収穫しなければ。冷たい水を飲んでも危ないのが年寄りなのだ。つまらない見栄を張らず、倒れることのないように気をつけながら頑張ろうと思う。

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