掘った芋

英語といっても、おはやうこんちはレベルなら何も身構えることもないのだが、これこれかうだと筋道立てるには、英語も生半可では身につかぬ。ならば、綴り方など一本書けるレベルの英語を、それも無駄なく覚えるにはどうしたらいいだらうか。それと分かってはいても、これこれかうすればいいとまで具体的なメソードが示された気配がないのである。この国の英語教育の大袈裟に云へば欠陥、きさくに云へば手抜かりだ。難しいからだらうと思はれやうがさうではない。只管(ひたすら)無知無策の結末なのだから困る。

その辺りの蘊蓄を五枚程度の紙幅で語り尽くすのは無謀で、ご関心の向きは別な書きものをご覧いただくしかないが、ここではそのサワリとでも云ふ話をお聞きいただかうかと思ひ立った次第。では。

それと身構えもせぬものが英語を覚えやうとすれば、まず聞き慣れない言葉が矢鱈(やたら)気になる、つまり語彙の違ひに気づいてどぎまぎするのだ。犬がダッグで水がワラだときいて奇態な音にぎょっとする。生半可ローマ字なぞ囓(かじ)った輩は、そんなはずはないドッグだらう、ウオーターの間違ひではなどと訝(いぶか)る。だから、本当はダッグでワラだと諭(さと)される時点で、学生はふた手に割れ、ひと手は、おゝさうかと英語の妙なる音に魅せられてのめり込み、もうひと手はとてもついていけぬと背を向けるのだ。

さて、英語に限らず外国語を覚えるに敏(さと)いのはおよそ前者で、外国語嫌いになる手合いは後者としたもの。筆者はこの前者の方で、ダッグならぬ横浜をヨーコハーマと聞かされ、the United States of Americaを得も言われぬ挙げ下げで聞かされて「おゝ英語!」とハマった口である。

英語は音から入るに如(し)くは無い。それはさうだ。片仮名読みでtableやeggsをテーブル、エッグスと納得しても「通じる英語」を習ふには爪の先ほども役に立たぬ。テーボーと聞かされて堤防じゃ無いかと咄嗟に勘違ひしても、英語の世界ではさう言われてゐるのだとの悟りが早ければ早いほど利が多い。エギスとは何事かと気色ばむ前に、卵などはまとめてそう云ふものだと納得が早いのに越したことは無い。

アメリカで苦労した一世の日本人が沁みじみ話していた。文字の書けぬ身には耳学問が支え、英語も耳から覚えた、と。エギスが欲しいばかりに雄鶏の鬨の声を模し、羽をバタつかせて足元になにやら落とす風情を見せて卵を手に入れたと云ふ。雄鶏はあれは産むまいなどの斟酌は思ひ浮かばなかった、と。

ジョン万次郎の頃のこととて語り継がれる話がある。

「掘った芋、いじるな!」と言われて、有りもしない芋がどうしたと聞き返そうものなら、「だから、掘った芋いじるな!」と重ねて尋ねると云ふ。明かせば、これはWhat time is it now?がさう聞こえたと云ふのだから、これは相当な物語だ。

ジョン万次郎(1827-1898年)

高校卒で留学、日本人皆無の土地に敢えて踏み込んだ筆者には、この手の実体験が十指に余る。耳からの音情報に身振り手振り、置かれた状況から推測して難を逃れたこと、文字は解っても意味とはえらく違う状況にあたふたした経験が無数にあった。かうなると文字から入った英語は無力で、耳情報を基礎に状況判断から意味を掬ひ取るといふ、なんと言うことはない、文字から意味を辿るといふ古典的手法とは正反対の学習サイクルが作動する。

八十六年余の齢を重ね、その大半を英語と付かず離れずに過ごしてきた実感だが、この真逆の学習サイクルが有機的な英語の習得の実は捷径なのだ。穿鑿(せんさく)すれば、しこしこと文法を弄(まさぐ)り構文を分析するもありはするが、所詮は体感した英語の体現に匹敵する手立ては無い。

筆者はいま、オーディオ・データを介しての、英語による文学や評論類の聴き読みに、侮れぬ量の時間を費やしてをる。視力に衰へを覚えフォントの壁を年毎に感じるやうになって、耳からの読書量はとみに増えてゐる。耳で本を読める力は、それ、その真逆の学習サイクルの効果以外には考えられぬ。

生きた英語を身に付ける道は、犬をダッグと体感するにあり。以て銘されよ。

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