お土産持ってご無沙汰デー

戦後2、3年の日本の有様(ありさま)は、今は思ひ出したくもない混乱のルツボだった。食うや食わずの日々だが、どこか妙な活気があった。さあこれからだと云ふ、サイコロを振り直す感覚が漲(みなぎ)ってゐた。

ラジオからは平川唯一の「カムカム英語」が流れ、学校では英語の授業が始まった。Let’s Learn Englishだ。Jack and Bettyまでのほんのいっときだったが、この教科書は突然開いた英語の世界への最初の窓口だった。

それ、英語、英語だ、と世間がざわめく。商売に聡(さと)い人は、手早くちゃちな英会話の本やカード式の会話集を作って売り出した。銀座ではガリ版刷りの英会話ガイドが飛ぶやうに売れたのである。私も子供ながらにHere we are in the Ginza.など、そんなカルタの一枚を見て、銀座には定冠詞がつくものだと知った。怪我の功名だ。

その中に、英語は単語が先ず大切だと考えた知恵者がゐた。いまは手元にはないのだが、厚さ2センチほどの再生紙本で、基礎的な英単語を集めた本があった。それがただの単語集ではなく、どうしたら単語を覚えられるか、工夫を凝らした本だった。楽に手早く沢山の英単語が覚えられると云ふから、どう血迷ったか私もなけなしの小遣ひを投じて一冊買ったのだ。いま思へば姑息な考へだったが、英語だ英語だという世間の風潮に流されてのテチガイだった。

その本は変わってゐた。英単語を日本語経由で覚えよと云ふ考へから、奇妙な言葉遣ひで英語を書き換えて「覚へやすく」してあるのがミソだった。犬小屋は「犬が寝る」から「ケンがネル」、だから英語はkennelだ、と。なかなか言ひ得て妙である。英語交じりの冗談には打ってつけだ。

Gentlemanを覚えるのに、この本では、これをある種の男と考えるのだ。金を持ってくる男、一家の稼ぎ男と考へて「ゼニ取るマン」、gentlemanとくる。

まだある。「引く」と云ふ動詞があって「字を引く」なら字引、つまり辞書の世話になる。これを巧いこと「字引く書なり」と表現してdictionaryに結びつけた才覚をどう思はれる?見事と云ふか流石と云ふか、英単語を覚えるために語呂合わせを使ふと云ふ新機軸だ。

私はこの本で語彙を増やしたといふ意識はないが、妙に「英語は面白い」といふ感覚は得たやうな記憶はある。姑息ながら、初期の英語ブームの風潮に乗って咲いたあだ花、とご理解いただこう。

さて、子供が英語に興味を持つやうに、と知恵者たちが考へた方法の一つに、語呂合わせでセットものを覚えさせようと云ふアイデアがあった。日本語交じりに曜日を順序よく覚えさせやうといふ奇想天外なアイデアだ。

先ず月曜日を「月」として「お月様はまるマンデー」と解く。いい調子である。火曜日は「火」として「火に水掛けてちゅーズデー」とくる。なかなかの知恵だ。水曜日は「水」だ、これを「すい」と読ませて「水田に苗を植えンズデー」と抑える。快調だ。

木曜日になると一段とピッチが上がる。木曜は「木」、これは「もく、ぼく」と読むから「木刀腰に差ーズデー」だ。金曜日は当然「きん」だから「きんつばよりはフライデー」とする。いや、これなど英語と日本語が同化してゐるかのやうだ。

土曜日は?ここがこのメソードの華だ。おみやげは漢字でお土産、ここに「土」があるのに目を付けて「お土産持ってご無沙汰デー」と締める。どんじりの日曜日は「日」、これをお日様が照っている様子から「お日様空にサンサンデー」とまとめて、英語の一週間がすっきり覚えられる、といふわけだ。

終戦後のどさくさに日本人は苦労をした。ある日押し寄せてきたアメリカ兵とアメリカ文化に、誰もがぎょっとし、何とかせねばと頑張った。その一つが英語騒ぎだった。

犬寝るも銭取るマンも、それにお土産持ってご無沙汰デーも、みんなその頃の遺物だ。それでも英語を身につけるほんの僅かの足しにはなったのである。わが英語講座でこんなウイットが通じるかどうか、これは諸君のマナコ次第だ。

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