腹で泣いた日(33)

今日はMerchant’s Lunch以来の食い物の話しをしよう。開講するや、学生寮(Driscol Hall、女子学生寮は別棟でMorrison Hall) に改めて住み込んだ私は、もっぱら隣接の学食 (Student Union) で三食を摂ることになった。Round House の商売の味と量に慣れていた私は、さすがに学食の飯は侘びしかろうと覚悟していた。Round houseで食った初のアメリカ飯はどれも珍かつ妙、それがまた味がなかなかいいこともあって、私の味蕾はしきりに擽(くすぐ)られていた、まあ、至極満悦だったのである。

それはその筈だ。戦後十年余を過ぎても、哀しいかな、私の味蕾は貧弱な食い物を食事と自覚して疑わなかった。わが家では、一汁一菜の実質はまだまだ豊かではなかったのだ。米の飯こそ復活していたが、それでこそ麦など雑穀の混じる日もあり、蛋白はまだ肉々してはいなかったのだ。それが来てみれば肉攻め、味攻めだ。味蕾め、ご満悦の筈だ。

さて、Student Unionは寮生に限らず近在の学生もたかることから、食事時は大いに賑わう。百畳はなかろうが広いフロアに円卓が散り、それぞれ4〜5脚の椅子が嵌る。何の変哲もない円卓だ。東側は厨房と配食レールがこちらから向こうへ、30メートルほど走っている。その日の料理が大きな鍋や器に盛ってあり、それぞれ担当の白衣の配食員が笑顔で並ぶ。学生はそれぞれジュラルミン製のトレイと皿を山から取り、カップ類からフォークとスプーンを拾って並ぶ。配食レールの上を押しながら順に食い物を入れてもらい、最後にミルクを巨大なタンクからグラスに取り込んでテーブルへ、という流れ作業の仕組みが私には至極物珍しい風物に映った。何てことはない、いまなら何処にでもあるカフェテリア式の配食だが、そんな文化にまだ初心な私には至極珍しく見えたのだ。

アメリカ人は学生でも大概大柄だ。皿でもどんぶりでも大きい。掬うお玉がまたでかい。だからひと掬いで貰う量が半端じゃない。Round Houseの量の文化はここでも生きている。配食員のおばさんたちは、学生の体格に応じて量を案配するなどの斟酌はまったくしない。おまけにミルクタンクがドでかく、何杯でも好きなだけ飲める。豪儀なものだ。量が決め手だったと云うが、これでは戦争に負けるはずだ、と私は腹で泣いた。

珍かつ妙と云った。不満がないとも云ったが、じつはそれを凌いで私はある食い物に取り憑かれたのだ。ザワクラウトという食い物がある。酸っぱいキャベツの細切りで、なんでもドイツ由来の食い物だ。これの水煮にソーセージを何本も放り込んで茹でる。出汁も何もない、ひたすらソーセージの塩気で煮込む食い物だ。生来酢が好きな私はこれに大いに嵌ったのである。見たことも勿論食ったこともない代物ながら、ごく旨い。米の飯で食ったらさぞやと思いながら、私はこれを食パンで愉しくむさぼり食った。

貧しい食事で育った私には、これはまさに革命的な食癖の変化だ。ザワクラウトとソーセージばかりでは勿論ない。日を変えて出て来る食い物が、いちいち珍にして妙、かつ旨かった。自慢ではないが、それまで私はステーキなど食ったことがなかった。肉と云えばこまぎれ肉の丼がせいぜいだったのだから、どんと肉塊を出され、グレイヴィーをぶっかけてざくざく切って食えと云われて、私は絶句したのだ。文化だな、と思った。これじゃ戦争に負けるのも無理はない、とまた腹で泣いた。

ミルクの文化も私には新鮮かつ劇的だった。配達させてミルクを飲む習慣は、子供が多く貧しかったわが家には縁がなく、病気にでもならなければ飲ませて貰えなかった。さて、そのミルクがドでかいタンクに飲み放題あるという。悲しい性(さが)とは知りながら、私はタンクに纏わり付いて飲んだ。水代わりにミルクを飲んだ。開講したとはいえ、私は一定時間数を構内のあちこちで働いている。腹は減る、喉は渇く。英語漬けの日々は日本語より疲れる。そんな日々に食い物はすべてだった。

私はおいそれとは泣きたくはなかった。だが、アメリカ飯を食うたびに、私は窃かに泣いた。腹で泣いたのである。アメリカに渡って最初の半年、日本を負かした国を見たいという私の純朴な感覚が、がつんと堅いものにぶち当たったである。

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