そんなものがと訝(いぶか)られようが、私は混ぜ飯が大の好物だ。人参、牛蒡にささみ、刻んだ紅生姜と青豆が散ったごく在り来たりの混ぜ飯がいい。人参牛蒡の比率は四分六が秘訣、酢は並みの量ではなく咽せるほど欲しい。
煮込みうどんとともに、混ぜ飯は母の味だ。絶妙な醤油遣いが映えて、ちょっと他では食えない混ぜ飯。料理が下手ではない私だが、似たようなものはできてもあの味は微妙に出せない、そんな混ぜ飯だった。
好みをいえば、私は漬け物にうるさい。白菜やら大根やら、大味の漬け物の野趣もいいが、還暦過ぎ頃からか繊細な小物の漬け物に凝るようになった。微妙な野沢菜の味とか大根でも甘酢漬けなど、やや発酵味の勝った漬け物があるとないでは、食の進み具合がめっきり違ってきた。
漬け物は店で売られているものは薄気味悪くて食えない。保存料や原料の原産国への不信感もあって、スーパーなどで見掛ける見場(みば)のいい漬け物は手には取っても買わない。有難いことに、愚妻が近ごろ漬け物に凝りだして専ら自前で済ませているからだ。猫の額とはいえわが菜園が結構多彩な野菜を作るようになっているのも、実は漬け物を自前で食いたいばかりの食い意地からだ。
それもあって、今年は初めて牛蒡を植えてみた。何処やらの道の駅で牛蒡の溜まり漬けというのを見て、これは是非自家製で願いたいと愚妻に懇願、それならと種を求めて蒔いてみたのだったが、beginners’ luck を絵に描いたように見事に育った。牛蒡の出来秋である。径1.5センチと若めで掘り上げて早速に試食する。人参抜きの金平は歯触りと野性味豊かな食感だ。よし、これで味噌漬けは戴きである。料理は得手ながら、愚妻は初めての牛蒡の味噌漬けの仕込み具合をしきりに気にしている。無理もないが、新しもの好きな質だから上手く漬けあげてくれるだろう。
余談だが、梅干しと決まっているかの握り飯が、真っ茶色に漬かった牛蒡の味噌漬けを握れば俄然生まれ変わるのをご存知だろうか。味噌の焼きお握りが滅法旨いくらいだからこれは当然だが、私には味噌漬けの牛蒡は握り飯の定番だ。西洋では根っこを食うわけもなく、どうやらせいぜいハーブ扱いのようだ。面白いのはイギリスで、ホップの出現まではビールの苦みに牛蒡を使っていたとか。洋の東西というが、華の牛蒡をホップの代用にするとは食味感覚の違いも極まれりの感がある。
わが菜園には、牛蒡を追って野沢菜がようやく芽生えている。ご存知、これもまた手前漬けの格好な材料になる。これが五寸にも育つ頃にはわが庵の定番、那須高原の大根の買い付けがある。11月の塩原通いはわが家の定例行事だ。あれもこれもの漬け物三昧、お笑いくだされ。
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