公立校の九人野球で甲子園を湧かせた秋田の金足農業高校が決勝で砕け散ったあの日の夕刻、久し振りの秋葉原で私のiPadを求めての帰り道、私ら夫婦は遅ればせながら土用の鰻を食おうと巣鴨に車を向けた。連日の猛暑がふと和らぎ秋っぽさが感じられる日だった。
最寄りのPに車を置いて、やおら地蔵尊への通りに歩み掛かった時、傍らからカメラとマイクを構えた黒Tシャツのお兄さんが寄ってきた。ぎょっとしたが、どうやら路上インタビューらしいのだ。以前似たようなマイクを銀座四丁目で向けられたことがあり、またおいでなすったと身構えた。
お兄さんは某テレビ局の番組を名のり、甲子園の夏の高校野球はご覧かと尋ねる。金足の痛々しい末路がまだ瞼の裏に焼き付いていたから、おお大変な試合だったなと咄嗟の相槌。クライマックスはと聞くから、それは力投及ばず力尽きた吉田の哀れだろうと鸚鵡(おうむ)返し。私の活性高い反応にマイク氏は気をよくしてか、あれこれと畳みかけて聞いてくる。
ほぼ十分ほどが経ったろうか、私はさらにこの地方色豊かな農業高校の野球振りに如何に感銘を受けたかを縷々語った。勝ち過ぎて資金が枯渇、募金を集めて戦い続けた辺りの経緯(いきさつ)に触れながら、近ごろ出色の出来事だと金足農の奮闘を褒め称えたのだ。
前述の銀座で街頭インタビューでは、政局をめぐるやや角の立つ意見を陳述したことから番組では取り上げられずに終わったことを思い出した。さて、今回は如何なものか。是清張りの白髭で作務衣姿に杖の出で立ちが我ながらフォトジェニックだから、「今回は出るかも…」とは愚妻の弁。妙なもので私にしてからが、罪のない話題だし角の立つひと言も吐いてはいないことから、何かそんな気にもなっていたのだから、何をか況んやである。
帰宅するや愚妻はテレビのそれらしい番組を軒並み予約、後刻私の英姿を見届けんものと身構えた。夕飯時の慰みに面白かろうと、私も妙にそそられる気持ちになっていたのが気恥ずかしい限りだ。
そして録ったビデオを「鑑賞」する段になって、二階へ馳せ登って梯子を外されたような遣る瀬ない思いを噛みしめることになる。再生したビデオは金足ずくめ、ナインの帰郷から歓迎振り、地元の涙ずくめの顔顔顔、街角の声はどれもこれも秋田びとばかり、ついに是清張りの白髭姿は影もなかった。
思えば、さもありなんである。アンダー18の代表選手を六人も揃えた野球のエリート校に、文字通り蟷螂の斧さながらの獅子奮迅、敢然と散ったド田舎(無礼深謝)農業高校の誉れは地元秋田のものだ。せめてあのマイク氏にだけは、秋田出身だと虚言を吐いて置けばあるいは、と悔やむも愚か(笑)。せめてものことに、日々の出来事として残し置こうか。
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