蝋梅が満開になり福寿草が頭を出し、春が近づいてきた。立春が過ぎたころ、我が家に娘夫婦が引っ越してくる。
今、受け入れ体勢作りがたけなわとなっている。使わない大物家具の搬出を年明けに済ませ、今は小さな家具や物の片づけと移動を、コツコツと進めている。
今まで手つかずにしていた梟翁の書斎を私が代わりに使うことにしたので、手を合わせながら机のパソコンを入れ替えた。
本棚や引き出しに入っている物を、捨てるものと残すものとに仕訳する。梟翁の触れていたものを捨てるのは悲しいけれど、かなりのものを処分せざるをえない。我が家は市街地ではないので、少しくらいは野焼きもさせてもらおう。

これは!と思う物がでてくると、手が止まる。
たとえば日本棋院の免状。立派な桐箱に入った免状が初段から五段まであるのだ。梟翁は、「昇段するにはプロに対戦してもらうんだけど、ちゃんとお金を払えばちょっと手加減してくれるんだ。」と照れくさそうに話していた。一時私に囲碁の相手をさせようともくろんでいたことがあったけれど、私は負けるのが悔しいから逃げたのだった。賞状は初段から四段までは処分し、五段のものだけ取っておくことにした。昭和59年とあるから、48-9歳の時のものだ。碁盤と碁石も複数あるが、一番いいものを取っておこう。
デジタルではない一眼レフカメラや偏光フィルターのセット。近々カメラマンの白鳥さんがお焼香にいらっしゃるので、お見せしよう。
前の奥様の写真が一枚、手箱の中にひっそりと保管されていたのには思わず息をのんだ。彼女の写真は初めてではないけれど、これはきっと梟翁が撮影した一番お気に入りの写真だと思った。梟翁は梟翁らしく、彼女を心から愛して大事にしていたに違いない。

収納スペースが多いのも善し悪しで、死蔵されている物の多さは半端じゃない。30年ほど前のナショナルジオグラフィック(英語版)が100冊余り天袋にある。開いてみると、きれいな当時の写真が満載で歴史を感じる。捨てるのが惜しいので取っておこう。

とにかくコンテンツものが多い。大量の本、VHSのビデオテープ、カセットテープ、LPレコード、CDなど。なんとEPレコード(トップ画像)とソノシートまで出てきた。そういえば、蓄音機もどこかにあるはずなのだ。幼少期に父親が軍需関連企業に勤めいて羽振りがよく、蓄音機があったそうなので、ノスタルジーで手に入れたらしい。「子供の頃は「ちくおんき」ではなく「ちこんき、ちこんき」と呼んでいたんだ。」と懐かしそうに話していた梟翁だった。

骨董品と言っていい手動式のタイプライターが出てきた。古いマッキントッシュもある。1980年代に50万円くらいしていた3.5インチフロッピーディスク搭載の8ビットマシン!これもほとんど骨董品だけど、どうしようか。
楽器や楽譜、卓球用品や釣り用品も多い。本当に多くのことに挑戦し、楽しんだ人だった。そして、物を捨てられない人だった。
高価な美術品などのお宝はないけれど、梟翁が生きた証である。後の人のことを考えて頑張って精査しているものの、さすがに”断捨離”とまではいかないだろう。
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