今年のノーベル平和賞は日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が受賞した。第五福竜丸がビキニ沖の水爆実験で被爆したことをきっかけに結成され、68年間も核廃絶を訴えてきたことが評価されたという。
オバマ元大統領が「核なき世界」というスピーチをしただけで受賞したこの賞は、インチキな代物だと思っている。いろいろ言いたいことはあるものの、受賞した御老体の皆様が喜ぶ姿には微笑ましいものがあったし、口先だけのオバマと違って日本の被団協の68年間からは重みが感じられた。
そんなニュースを観ていたとき、12年前の9月に梟翁とアメリカ旅行をしたときの光景がふと思い出された。9.11で街に半旗がたなびいた数日後だったか、知人がユタ州のソルトレイクシティからネバダ州と近接したウェンドオーバー(Wendover)に連れて行ったくれた時のことだった。
白いソルトレイク(塩の湖)を抜けて砂漠のフリーウェイを走り、4時間ほどでウェンドオーバーに到着。そこは基地の街だったという。夕食の後、梟翁と私はホテルに入り、知人はニール・ヤングのコンサートに出かけた。
ホテルのフロント周りには、第二次大戦時の空軍の飛行機やパイロットの写真が掲げられていた。暇つぶしに一人でぶらぶら眺めていた私は、何気なくフロントのデスクに飾ってあった爆撃機の模型に目をやってギョッとした。ENORA GAYと書かれていたのだ。目を疑いながら改めてじっくり見たけれど、間違いない。
広島に世界初の核爆弾を投下した悪魔のような飛行機が、堂々とフロントのデスクに飾ってあったのだ。
英語がしゃべれない私は、部屋に戻って梟翁に訴えた。日本人としてホテルに抗議してくれ、と。「何?それは酷いな。わかった。」と抗議してくれるとばかり思っていたら、梟翁の答えはこうだった。「面倒になるから止めた方がいい。奴らはいい仕事をした飛行機だと思って飾っているんだから。」
え?”いい仕事をした飛行機”!?
エノラゲイに「いい仕事」という形容は、感覚的に到底受け入れられないものを感じた。あの飛行機が落とした爆弾で広島の人たちがどんなに悲惨な目にあったことか。私は食い下がったけれど梟翁に頑として拒まれたのだった。
ネットを調べると、この街には核爆弾の投下訓練基地があったこと、エノラゲイの格納庫が観光名所になっていることがわかった。車で通ったあの砂漠で実験をしたのだろうか。エノラゲイは、この街で生まれたのだ。アメリカでは、世界初の核爆弾を投下して戦争を終わらせ、何万人もの米兵の命を守った栄誉ある飛行機とされているらしい。それに抗議することは、アメリカ人の差別感情などを考えると相当危ない、と梟翁は判断したのだろう。
ことほど左様に、彼我の認識には天と地ほどの違いがあることを学んだ出来事だった。
日本の被団協が長年訴え続けるなか、最大で7万発もあった核弾頭は冷戦後に減り続け、今は1万2000発ほどになっているそうだ。それでもまだ多い。日本は核保有国に囲まれているので、抑止力は必要ではないだろうか。”平和を愛する近隣諸国”は信用できない国ばかりなのだ。
蛇足だが、ノーベル平和賞だけはスウェーデンではなくノルウェーで授賞式が行われる。ノルウェー大使館に勤めていた梟翁が初めてノルウェーに行ったのは、佐藤元首相が受賞した時だったそうだ。
※ビデオの画面をカメラで撮った写真なので、粗いものばかりになってしまいました。
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