俳句甲子園

俳句甲子園という大会をご存じの方は少ないと思う。私も俳句の会に入った昨年初めて知り、1998年の第1回から今年で27回を数えるそれなりに歴史のあるイベントということに驚いたクチだ。

ネーミングが秀逸で、俳句甲子園というだけで夏休みに行われる高校生による俳句の全国大会だとわかるのは、さすが巧みな省略を旨とする俳句らしいと感心する。ただし会場は西宮の甲子園ではなく、俳都として有名な愛媛県松山市。なぜ松山が俳都かといえば、明治以降の俳句を確立した正岡子規、高浜虚子など名だたる俳人を生み出した土地だからで、松山市の繁華街にはいたるところに「俳句ポスト」があるそうだ。

実は、俳句で試合をすること自体ピンとこなくて、俳句甲子園があると知ってはいても何となく敬遠していた。ところが、尊敬する句会の先生が審査員の一人であり「今年も楽しみにしています」とおっしゃったため、とにかくどんなものなのか知っておこうと、今年の俳句甲子園の動画を観たのだった。

そこでは想像の上をいく”バトル”が繰り広げられ、椅子からのけぞり落ちるくらい驚いた。百聞は一見にしかずで観ていただくとわかるのだけど、5人一組のチーム同士の対決である。句を提示し合い、それぞれの句について質疑応答という舌戦を行う。数名の審査員が旗をあげて勝敗を決し、それを5ターン行うという試合であった。

ここで”バトル”を”バトル”ならしめているのは、制限時間ということがわかった。一句につき、質疑応答時間は4分、1回の発言時間は30秒以内であり、いくら言いたいことがあっても時間がきたら即刻発言を止めなければならない。だから舌戦は間断なく早口で行わざるをえない。採点では質疑応答のうまさよりも俳句の良さに重きがおかれるが、句の良さを引き出したり相手の句の欠点を明らかにすることも質疑応答の役目となっている。

頭脳戦であり心理戦であり反射神経戦であり滑舌戦!

うわぁ−と思いながら頑張って観戦したけれど、高校生の早口バトルに頭の回転が衰えた私はついていけず、一戦見ただけで頭痛がするほど疲れた。俳句の”バトル”は観戦者にも頭のハードワークを強いる。野球の観戦のようにゆったりしながらとはいかないのだ。審査員の先生方はよく何時間もあの”バトル”を審査できるなあ、毎日のように何百もの句を選んでいるから頭の作りがちがうのだろう、と思ったら、審査員の先生方も2戦終了後に全員入れ替わっていたので納得した。

私の方も休みながら2戦、3戦と観ていくと、なんとか徐々に馴れてきた。気がつくと画面に向かって「あ、そうか!」とか「やっぱりこれは『に』じゃなくて『や』でしょう!、、ね?」なんて梟翁の遺影に話しかけたりして、かなり楽しんでいた。それに俳句初級者の私にとって、評をどういう視点で行うかなどの勉強にもなった。

個人賞の俳句

「俳句」と「試合」という普通まったく相容れないと思われる事柄が、俳句甲子園という器の中で取り合わされて、独特な世界が繰り広げられていた。初期の大会では質疑応答が批判の応酬になりがちで刺々しさがあったそうだが、今は互いに敬意を表しながらのディベートになっていて好ましく感じた。受賞した生徒が涙で声を詰まらせたり、思いがけない言葉が笑いを誘ったり、高校球児ならぬ高校俳児の熱さが伝わってきて感動を呼ぶ。来年もぜひ動画を観て応援したい。

俳句部といえば引っ込み思案でおとなしい文学少年少女の集まりをイメージするけれど、この甲子園で勝つにはそれでは通用しない。「俳句部のおかげで口げんかに強くなりました。」という人がいるかもしれないという笑い話はさておき、ディベート力は社会に出てもきっと役に立つだろう。また、俳句は好きだけれど口べたな生徒には、舌戦は他のメンバーに任せて句作に集中するという参加の仕方もあるようだ。

15年以上前になるが、梟翁との四国旅行で松山に行き道後温泉に泊まったことが思い出された。その時は俳句に関する事跡にまったく立ち寄らなかったので、またいつか訪れてみたい。

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