このところ戦後の略年表を作る作業をしており、結構勉強にもなっている。教科書の年表では食い足りないので家に何かないかと探したら、「昭和二万日の全記録」(講談社)という18巻ものがあった。文字どおり、昭和63年間×365日分のニュース項目があるという資料価値の高い本で、『さすが梟翁!」と唸った。
開いてみると写真付きの解説もふんだんにあり、その時々の世相や人々の息づかいまで感じられてきて、つい作業を忘れて読み込んでしまうほど面白い。その中でこんな事件記事を見つけた。
(以下引用)
昭和21年3月16日の朝、東京渋谷の歌舞伎俳優片岡仁左衛門宅で、五人の惨殺死体が発見された。
殺されていたのは当家の主人・片岡仁左衛門(六十五)、妻・登志子(二十六)、三男・三郎(二)、それに使用人の榊田はる(六十九)、岸本まき子(十二)の五人で、いずれも薪割り用の手斧で顔、頭などをメッタ打ちにされていた。
殺された岸本まき子の実兄で、同居人の座付き作者・飯田利明(二十二)が事件後姿をくらまし、飯田の部屋に血の付いた靴下が脱ぎ捨てられていたことから、有力容疑者として指名手配され、20日午後、潜伏先の宮城県川渡温泉の旅館で逮捕された。
逮捕後の自供によると、ばあや、飯田、妹・まき子の三人は、片岡家の人々と炊事も食事も別々で、朝は天井が映るくらいに水増しされた「天井がゆ」、昼はいっさい抜きで、あとは夕飯の一日二食だけだったという。米も配給分より少なく一人あたり一日に一合五勺ほどの米しか割り当てられなかったので、飯田の摂取カロリーは、920キロカロリー前後だったという。しかも、仁左衛門一家は白米を食べていたが、使用人たちには配給の米よりもメリケン粉の多い食事ばかり出されており、飯田は日頃から恨みを抱いていた。こうした食べ物の恨みに加え、犯行前日の夜に、「おまえのような者は家におけない。明日には出ていけ。」と言い渡されていた。寝付かれぬまま朝を迎えた飯田は、午前六時半頃、便所に行く途中廊下にあった薪割り用の手斧につまずいて急に殺意を催し、犯行に及んだという。
飯田は結局無期懲役の刑に処せられたが、一時は世間を震撼させた事件であった。
(引用おわり)
人気歌舞伎俳優一家が食べ物の恨みで惨殺されたという。「こんな事件があったとは!?」、と歌舞伎好きの私は本当に驚いた。
犯人の飯田は座付き作者だったので、そこそこインテリな男だっただろう。それがこのような凄惨な犯行を犯してしまうのだから、食べ物の恨みはすさまじい。若干22歳の青年が1日1000キロカロリーに満たない食事では、どんなにか空腹感に苛まされたことだろう。
それに、被害者の仁左衛門と妻の年齢が40近く離れているのもすごい。仁左衛門、せっかく若い妻を娶って男の子ができたばかりなのに、さぞや無念だっただろう。
また、「天井がゆ」という表現がいかにも座付き作者らしくて、不謹慎にもくすりとしてしまった。落語の「味噌蔵」が思い出された。「味噌蔵」は主人の徹底したケチぶりが面白い噺。思い出したのは、いつも具のない薄い味噌汁を出されていた使用人が、「あ、今日は具が入っている!」と喜んだけれど、自分の目玉が映っていただけだった、というくすぐりである。
記事はさらに続く。
(以下引用)
この時代の食糧難はまさに殺人的だった。昭和20年は凶作に加えて大暴風雨で農作物が壊滅状態になり、さらに600万人に及ぶ復員・引揚者などで、食料事情は悪化し、食料はまったく底をついていた。(中略)
こうした食料事情は、人々の欲望を「食べること」のみに集中させた。しかもその一方で、金さえあれば闇市で何でも手にすることができた。このような社会の荒廃と生命を脅かす空腹感が、人間を激情に走りやすくさせ、窃盗、スリ、かっぱらい、詐欺などの犯罪を横行させ、さらには人々を震撼させる殺人事件までを発生させたのである。
(引用おわり)
昭和20年から21年にかけて、日本は戦争に負けただけではなく農作物もとれない、まさに泣きっ面に蜂の状態だったのだ。そして犯罪も横行する荒廃した社会で、多くの国民は人に言えない苦しみをなめながら生き抜いたのだろう。もちろん世を去った人も多かった。還暦を過ぎてこのような記事を読むと、震えるような思いがする。
今、ロシア・ウクライナ戦争はだらだらと続き、中東ではイスラエルがガザ攻撃を止めず、世界はきな臭さに覆われている。日本の食料自給率は38%で、もし輸入がストップすればたちどころに食糧難になってしまうと言われている。昨年、「食糧難に備えてコオロギを食べよう!」という話題があったけれど、コオロギでお腹が膨れるわけがないし、気持ち悪いので食べたくもない。一方で、米農家は肥料や燃料の価格が上がって作れば作るほど赤字になっており、高齢化での離農も進んでいるという。それなのに、コオロギ食の開発には補助金がついて、米農家の赤字の補填はなされないというトンチンカンな政策には、あきれるしかない。
もし食糧難になったら、私のような年寄りは黙って去って行くだけだ。でも、若い人たちがあまりにも可哀想だと思う。
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