尊富士(たけるふじ)がとんでもない快挙を成し遂げてしまった。新入幕力士の優勝はなんと110年ぶり、大正3年年以来というのだから、凄いの一言である。
初日の取り組みではNHKアナウンサーの発音が悪くてタケフジと聞こえてしまい、(サラ金みたい)などと思ったが、圧倒的な内容で白星を重ね、中日に一人だけ無敗の勝ち越しを決めたあたりから刮目して観るようになった。
とはいっても、新入幕力士が序盤で活躍しても後半で上位陣とあたれば、負けがこんで10勝いけば上出来というパターンだろうと高をくくっていたら、まったく違った!体格は中くらいで特に大きくはないのだけれど、立ち会いの圧力でほとんどの力士が適わずに寄り切られてしまう。
大関の琴ノ若は立ち会いで何とか踏みとどまるも、尊富士の次の踏み出しが早いので結局押し切られてしまった。黒星をつけたのは大関豊昇龍と元大関朝乃山だけだったのだから、すでに大関級である。
優勝力士が出演するNHKの番組では、飾らず素直な受け答えが好印象だった。14日目に朝乃山に敗れた相撲で右足を痛め千秋楽の出場を諦めかけていた尊富士に、横綱照ノ富士がわざわざ会いに来て背中を押したそうだ。曰く「おまえは記録よりも記憶に残りたいと言っただろう。明日出れば間違いなく記憶に残るぞ。」と。
休場すれば、1勝違いの大の里が負ければ優勝となる。出場しても、負ければ優勝できないかもしれないし、怪我を悪化させるかもしれないという状況だった。しかし照ノ富士の言葉に「出場しなければ一生の悔いになる。」と奮い立ち、痛み止めの注射をして臨んだ豪の山戦。尊富士は怪我を感じさせない思いきった相撲で見事に勝利し、自力で優勝をつかんだのだった。
なんという凄い力士が現れたのだろう。梟翁の遺影に話しかけても返事が来ないのが歯がゆかったが、きっとあの世で観ているに違いない。
尊富士の故郷は、津軽半島の五所川原市とのこと。五所川原には十数年前に梟翁とバスツアーで訪れたことがある。GWの桜の頃だった。津軽鉄道の観光列車に乗ると、若い娘さんの津軽弁ガイドがあったかかった。津軽には弘前のリンゴ農家さんから紅玉を送っていただいたご縁もある。あの辺の人はあったかい。あの頃あの地に小学生の尊富士君がいたのだなあ。津軽の春の風景を懐かしく思い出した。
新入幕で活躍しても大成せずに終わる力士は多い。今回の優勝で周りが一変するけれど、慢心せず怪我もせず着実に成長していってほしい。同じくらい有望な大の里と切磋琢磨して、東西の日本人横綱が優勝争いをする姿を観てみたいという相撲ファンは、私に限らず多いだろう。
そして出来ることなら、白鵬も成し得なかった双葉山の連勝記録(69連勝)を破ってほしい、と妄想は膨らむ。梟翁は、子供の頃に双葉山の相撲をラジオで生で聞いたんだと自慢していたものだった。もし尊富士が双葉山の記録を破ったらあの世で梟翁に自慢できるなぁなどと、ますます妄想を膨らませている。
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