松の内を過ぎて少し経ったころ、見知らぬ来訪者があった。
近くの神社の宮司さんだという。2月末の例大祭のため、氏子の年番の私に境内の清掃奉仕をお願いしたいとのことだった。年番は毎年順繰り2軒ずつ割り当てられる。我が家の地区の氏子は30軒余りあり、私は初めてだった。昨年4月に相棒の近所のOさんが、「自分は何度も経験しているからお宅は何もやらなくていいよ。」とおっしゃってくれたので、申し訳ないと思いながら何もしてこなかった。けれど例大祭の清掃くらいはと、お声がかかったのだろう。
他では嫌な顔をされることもあるのだろう。「すみません、お願いしてよろしいでしょうか?」と、宮司さんは気の毒になるほどの低姿勢だった。私は「もちろん、やらせていただきます。」と快諾した。
実家が仏教寺院なので初詣にもほとんど行ったことのないまま大人になった私だけれど、梟翁と新婚旅行で行った伊勢神宮の素晴らしさに圧倒され、仏教が伝わるより遙か前から日本に根付いてきた神社について何も知らなかったことを恥じた。その後のにわか勉強で、神社検定2級というものを取得している。そして、神話(古事記と日本書紀)に登場する神武天皇が今上天皇と血で繋がっていることを遅ればせながら実感し、しみじみ感動した。
そんな私なので、初めての清掃奉仕にワクワクしながら出かけたのだった。朝9時、社務所前に集合。年番たちは1時間くらい境内の清掃をするという。社務所の中には氏子の幹部さん達が集まり、夕方まで1日中行事があるそうだ。
掃除をする20数名はほとんどが70〜80代の高齢者。竹箒で境内のすみずみまで落ち葉などを掃き清めた。柵で囲まれ一般人は入ることのできない敷地に入って、ご神体が置かれている奥殿の下を掃いたときは嬉しかった。また、手水舎の水盤(水をたたえる石桶)をたわしで洗い水を入れる作業もあった。すると、水が水盤の底からポタポタ漏れてしまうので、水栓のゴムを交換しなければならないという一幕も。清掃作業が一通り終わった後は、ペットボトルのお茶とおつまみ豆の袋を頂戴して解散した。
コロナで中止していた御輿を今年もやらないということから、この神社の斜陽ぶりが伺える。娯楽が少なかった昭和の半ば頃まで、例大祭といえば村最大のイベントだったそうだ。たくさんの屋台やお化け屋敷などが立ち並び、近在から人々が集まって、それは賑やかだったという。お義母さんの話によると、昔は一年の間に夫婦になったカップルが例大祭に婚礼衣装で集まり合同披露宴をしていたとか、神楽殿では村芝居ばかりかストリップまでやることがあったというから驚く。
そんな情景も今は昔。翌日お参りに行ってみると、今川焼きとスーパーボールの屋台が出ていた。数年前に行ったときもこの2つだけだった。訪れる人はぽつぽつで、冷たい小雨の中いかにも寂しかった。
今は初詣が1番の賑わいだろう。梟翁と元旦の午前0時に初詣に行った時は、参拝の行列があり、焚き火と甘酒の振る舞いもあり、それなりに賑やかだった。
千年以上前から鎮座してきた村一番の神社。千年以上のあいだ無数の人たちが祈りを捧げてきたこの場所を、大事にしていきたいと思う。
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