映画館は何年ぶりだろう。
一人でも気楽に出来る娯楽だから入ってみようかと思っても、なかなか見たい映画がないので足が遠のいていたが、歌舞伎ならほどほど楽しめそうだからと入ってみた。
演題は「野田秀樹版:桜の森の満開の下」
時は飛鳥時代、壬申の乱の頃、閉じこめられた鬼が桜の木の下から呼び出されて社会を攪乱するという設定のなかで、男女の愛憎を象徴的に描き出す劇だった。
絢爛豪華な大道具小道具をくりだし、大勢の出演者が織りなす、かなりキテレツな展開の話である。現代社会風刺のジョークやアニメ用語が飛び出して、梟翁が一緒だったら文句がでたことは間違いない。
主人公の仏師を演じる中村勘九郎と、お相手の姫(実は鬼)を演じる中村七之助兄弟の熱演が光っていて素晴らしかった。特に勘九郎の動きのキレは秀逸で、人間離れしていた。エンドロールで10年前の舞台だったと知る。勘三郎が亡くなったあたりだと思うと感慨深いものがある。
さまざまなエピソードが重なって行くなかで、仏師と姫(鬼)の愛憎が徐々に明らかになっていく。互いに引き寄せられながらも奪い合い血をながし、求めあう。どんどん奈落の底に落ちていく。ついに仏師は姫(鬼)の闇に耐えられずに姫を無我夢中で殺してしまう。姫を殺した後で仏師は涙に暮れるけれど、仏師の心には往時の愛らしい姫の声が響いてきた。そして仏師は奈落の底から青い空を臨むのだった。
思わず梟翁と自分の来し方に重ね合わせて涙してしまった。
いろいろ奪い合いながら求め合ってきたのだなあ、と思い出がフラッシュバックした。相手を殺すような凄まじさはなかったけれど、もつれもつれて、互いが互いの一部になっていたから、失ったときの悲しみは大きくとも相手は心の中に永遠に生きているのだ。
そういえば、歌舞伎は人形浄瑠璃の動きを歌舞伎役者がまねをしてあのような動きになったというけれど、いまどきの歌舞伎の動きは人形浄瑠璃というよりアニメの動きに近づいているように感じた。時代の流れなのだろう。
映画館で歌舞伎を気軽に楽しめるのは有り難い。生の舞台の臨場感とは違うけれど、考えられた編集のおかげで一番良いアングルをつまみ食いさせて貰えるのが嬉しい。次回は、梟翁と一緒に歌舞伎座で鑑賞したことのある、玉三郎と海老蔵の泉鏡花作品なので楽しみだ。
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