昨日無事に送り火をすませ、盆棚を片づけた。盆棚がなくなると部屋がガラーンとして寂しく感じる。
昨年は梟翁も私も流行病(はやりやまい)にかかってしまい、盆の行事どころではなかった。それから一ヶ月ほどで梟翁は旅立ってしまったのだ。
そして迎えた新盆である。
正直いって、新盆といっても実感が湧かなかった。遺影に話しかけたりしながら、2人暮らしとまではいかないけれど、梟翁の魂との1.5人暮らしという気持ちで過ごしているのだから、どうしてわざわざ迎えに行くの?という感じなのだ。
とはいっても世間的には新盆だから、いつもより念入りに盆棚を立ててお迎えに行こうと、10日から準備を始め、ゆっくり3日かけて盆棚を設えた。我が家の盆棚に豪華さはなく、いかにも農村らしい素朴さが気に入っている。お義母さんが亡くなって最初の2、3年は梟翁と一緒に組み立てたけれど、その後はほとんど私一人で立ててきたので、手慣れたものである。
お墓には梟翁の他にご両親と夭逝した弟さんが入っている。年の差婚で致し方ないとはいえ、お父様と弟さんには面識がない。でも、梟翁を産み育てたご両親や兄弟には敬愛の情があるし、いずれは私も同じお墓に入れていただくので、「あなた誰?」なんて思われないようにしたい。というわけで、自分が元気なうちはしっかり弔いをさせていただくのだ。
「お帰りなさい」と、迎え火を盆棚のろうそくに灯した。盆棚には、梟翁を含む4人の位牌と、父系先祖代々の位牌、母系先祖代々の位牌の計6柱が並んでいる。皆の魂が帰ってきていると思うと、俄然気持ちが引き締まるのを感じた。そうか、お盆の間、私はこの家の主ではなくて嫁なのだ。いつものように勝手気ままに暮らすわけにはいかないのか。読経や火の管理をしながら、初日はぼたもち、2日目は梟翁の大好物の郷土料理”混ぜ飯”を作ってお供えした。
梟翁の両親がご健在の頃は、近在の親戚同士で盆棚参りが繰り広げられ、ひっきりなしに人の出入りがあって、お義母さんは何十個もぼたもちをこしらえたり、うどんを打ったりと、一日中台所に立って何かを作っていたそうだ。それも今は昔、盆棚にお線香をあげに来てくれる人はめっきり減ってしまったし、こちらからお線香をあげに行く家も一軒だけになってしまった。
それでも、来客とお茶をいただきながら自然と昔話に花が咲くのはこんな時くらいだから、お盆という風習はいいものだなあと実感する。時が経てば、この風習はさらに細っていくだろう。跡継ぎがいないので、せめて娘や甥や姪たちの記憶に残していきたい。やっぱり子供を授かりたかったなあ、としみじみ思った。
16日は送り火。火が消えないように気をつけて運び、お墓の前で線香に移した。
(嫁暮らしもなかなか楽しかったですよ、来年までここでお休みください。)
とお祈りして、新盆を終えたのだった。
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