我が家には猫の額ほどの家庭菜園がある。梟翁と私が越してくる前は、お義母さんと妹さん夫婦が守っていた畑だ。
お義母さんを見送って古希過ぎの手習いとばかりに畑仕事を始めた梟翁は、妹さんに「お手並み拝見」と言われて、「なにをっ」と発奮したそうだ。それでなくても凝り性なので、熱心に取り組んでいた。子供の頃に畑仕事を手伝わされていたから耕し方など最初から堂に入っていたものの、野菜を一から栽培するのは初めてだったから、本やネットで研究し資材をそろえて、いろいろな野菜作りに挑戦した。
定番は、長ネギ、玉ネギ、ジャガイモ、きゅうり、なす、とまと、いんげん、ピーマン、白菜、キャベツ、ほうれん草、小松菜、のらぼう菜など。気が向けば、そら豆、枝豆、里芋、さつまいも、大根、人参、カブ、ごぼう、とうもろこしも作った。アスパラ、しそ、ニラなど、勝手に生えるものもある。
それまで野良仕事とまったく縁がなく、ヨトウ虫をはじめとする害虫が出ればキャーと悲鳴をあげるほどだった私は、最初の数年間「収穫と料理の係」を自認していた。手作りは好きだから、たくさんとれた野菜の料理や保存に知恵を絞るのは楽しい。それに、化学肥料を使わない自家製野菜のおいしさと安心感は堪えられないので、食卓も気持ちも豊かになった。
中でも忘れられないのは、ある年の玉ネギ。通販で購入した特選の苗を植え、風味も甘みも抜群の出来、一口食べると幸せな気分になるので「幸せのタマネギ」と名付けたほどだった。その時の苗は翌年から販売されなくなってしまったが、今でもあのタマネギに勝るものを食べたことがない。
梟翁が齢を加えるにつれ、畑での私の出番が徐々に増えていった。そして昨年の夏には、自分で畝立てした2畳ほどの畑でニンニクを収穫できるまでに成長した。私が最初から最後まで初めて一人で育てた野菜だった。けれど、私が百姓として曲がりなりにも自立したのを見届けたようなタイミングで、梟翁は逝ってしまった。
冬がきて、傷心を抱えながらも一人畑を耕し、タマネギの苗を200本植えた。玉ねぎはおいしくて保存が効く便利な野菜だし、毎年植え続けてきた習慣を途絶えさせず私が引き継ぐのだ。そして今月めでたく収穫。とても大きな玉ねぎができた。やった、やればできるんだ!、と思った。けれども食べてみると、大味で甘みが少ない、おいしいとはいえない代物だった。
昨年までは収穫したばかりの玉ねぎを毎日のように輪切りでオーブン焼きして楽しんだものだった。(「玉ねぎ礼賛」参照。)けれど、今年の玉ねぎはそうやると悲しいほどおいしくない。仕方ないので、もっぱら味を加えて煮て食べている。
梟翁が育てた玉ねぎはいつも甘くておいしかった。どうしてこんなにちがうのだろう?幸せの玉ねぎは苗のよさばかりではなかったのだ。近所の92歳のおばあちゃんが、「畑仕事は馬鹿にはできないよ。」と言っていたのを思い出す。彼が残した本をひもといてみようか、おいしい玉ねぎを目指して。
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