年賀状なし、大掃除なし、餅つきなし、お節作りなしと、お正月準備いっさいなしの喪中の年の瀬。それでも遺品整理などやることは山ほどあり、結構忙しい。そんな中、アメリカからクリスマスカードが届いた。
10月にメールで梟翁のことを知らせたので来ないと思っていたのに、と見てみると梟翁の音楽の師、ブロット先生の長男のウォーリーさんからだった。ウォーリーさんは、チェロの得意な音楽教授だった方で、2013年にブロット夫妻結婚75周年のお祝いに伺った時、BSU(Boise State University)の構内を半日かけて案内してくれたのが思い出深い。その後、梟翁と何かの折にメールのやりとりをしていたのは知っていたし、梟翁の訃報を伝えた時も印象に残る温かい言葉を送ってくれていた。
カードを開くと、通り一遍の決まり文句ではなく私でもわかるような易しい英語で祝福と励ましの言葉が書かれていて、胸がぽかぽかと温かくなった。私はさっそく、翻訳アプリとにらめっこしながらメールを書いて送った。日本では家族に物故者が出た年にカードは出さないのでメールを送ります、と書き出して、カードのお礼とウォーリーさん夫妻を祝福する言葉を送った。恥ずかしながら私の英語力は、読解力は高校レベル、会話と作文は中学生レベルにすぎない。
それで終わったと思っていたら、翌日返信が届いていた。私がメールを送ってから8時間後の午前3時半(アイダホでは23時半)のメールだった。
「メールありがとうございました。この時期にカードを送らないというあなたの文化は十分に理解しています。私はあなたにカードを送りたかったのです。あなたとヤスがブラット家を養子にしたように、あなたが私たち長男を続けてくれたことをとても光栄に思っていますし、私もまたあなたを心の中で養子にしています。この一年、すべてのことに祝福がありますように。」(Deeple翻訳)
翻訳アプリの訳はまともな日本語になっていない。私が読み直しても構文にわからないところがあってちゃんと訳せない。変則的な構文で何かニュアンスを表現したかったのかもしれないけれど、わからないのが情けない。けれど、ウォーリーさんが梟翁だけではなく私のことも家族同様に思ってくれていることはわかった。なんと”養子”にしてくれたのだ。そんなことは思ってもみなかったし、その日は少し気持ちが落ち込んでいたこともあって、なおさら有り難さが身に沁みた。ディスプレイを見つめながら、しばらくの間涙が止まらなかった。
すぐにメールを印刷して梟翁に伝えた。「これもあなたの余慶、本当にありがとう。」と。
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