それと気づかぬ青二才頃には及びもつかなかっただらう思ひの閃きに、八十《やそ》も末近い歳になって今更に周章《あは》てふためき、柄にもなく慇懃黙考してをる。鼻っ柱の強い、意地っ張りな己れには自省の念などはそも縁がなく、ましてどこかの本屋でもあるまいに三省などは思ひも寄らぬ、と嘯《うそぶ》いてゐた角っぽさが此処にきて俄に萎へてゐる。巷に云ふ角《かど》が取れることの生々しい実感、周章てふためく所以《ゆへん》だ。
省みることの意義は疾《と》ふに承知、一再ならずその必要に迫られながら浩然と脇目を振りつつ何時しか卒寿も指呼の間、やうやく己れを見詰める心地が兆してゐる。知りながら知らぬふりをしてきた己れの内面《うちづら》を、いま斜視ながら覗かうとしてゐるのだ。内心密かに覚えがある生来の弱み然り、かくすればよかりしものをと悔やむ事ども然り、などなどを思ひ出すままに抓み出して自省せんと思ひ立った次第。周囲に年嵩《としかさ》の智者でも居れば礼をつくしても合わせ鏡を願ふものを、哀れそれとてなく、鯔《とど》のつまりの自省の試みとなれば何の実りとて待ち望めまいが、それはそれ思ひ立ったが何とやら、ひと吐きさせていただかうか。
何が嫌ひと言って要らぬひと付き合いほど嫌ひなものはない。要らぬとは用事がない云々の下世話な理由ではない。要らぬとは己れに益せぬの意、己れの無知を気付かせる機となる触れ合ひなら揉み手すらするのだから厄介だ。だから、勢ひ付き合ひは狭まり自己中心に走り、善くは求心的に思考力が高まり、悪しくは偏執に片寄る判断癖が育つ。それに勝気に負けん気が油を注げばものの判断の黒白を誤り、それと気付かぬうちに世間で孤立さえするから怖ろしい。左程のことはなかったのせよ、我執の弊はほどほどに感じる折があった。手の打ちやうのない状況は記憶にないが、どうやら己れの才覚ではなく世間様の斟酌に負ふところが多かったらしい。還暦まではそれと気付かず世渡りをして居ったと思へば、汗顔の至りだ。
持って生まれた性格と云はば云へ、私には只ならぬ自意識の根が強く深い。これが如何にも自制不能で、善くも悪しくも此処に到るまでの生き様を支配してきた。争ひごとには常に勝者でありたい、支配被支配の絡繰《からくり》なら必ず支配側に回りたい、などの妄念に近い自意識が常に私の思考回路を支配してきた。議論をして説き伏せられもすれば、その主題を別途研究し論旨を整えて再び同人に議論を吹きかけ、鮮やかに相手を凌駕し去るを了とするなどは、その自意識の成せる技だ。それが森羅万象に亘る知識を豊かにした益は認めるにせよ、その過程の要らぬ気遣ひは思へば愚行、豊かな感性の徳育には縁遠い仕草だと今にして頻りに思ふ。
一を聞いて十こそは知らぬが生来早見えの才気が備わる私は、その所為《せい》で要らぬ心労を忍ぶことが多かった。未だ未熟の身で他人様が営々と語る物語を半ばでその結末を読み取り、したり顔に拙速な言質を弄してはその場を白けさせるなど稀ならず、それを秘かに娯しむに至っては若気の至り極まる所業だった。
再思三省とは世に云ふ知恵、卒寿間近にして私にもその真意が微かながら読めて来た。再思はさておき三省こそが要《かなめ》、三たび省みるは言葉の文《あや》で実は常ながら省みよこそが底意、省みるを常とせよと解してこそこの語が活きる。敢えて逆算の秒針時計を備えて刻々の日々を生きる心構へを固めて見れば、その時計の刻む音がsanseiとさえ聞こえる。
わが三省に悔悟の響きはない。悔いる思ひがなしとはせぬが、それは残された時間を活かす格好な肥やしと捉えん。十年ひと昔とか、ならばその時間はひと昔余、生きやうによっては尚相応の時だ。このやうな一文を綴る気になることにこそ、わが三省に甲斐ありとせん。了
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