わが庵にはさまざまな樹々が植はってゐる。北側には風避けに雑木が林立してをり、これは年に一度の整枝で済んでゐるが、敷地内には菓子くるみから柿、柑橘類と無花果(いちじく)、梅、茶木、山茶花、月桂樹から林檎、オリーブ、ブルーベリーも三種が揃ってゐる。柑橘類には甘夏、温州、柚子、金柑があり、今年は檸檬(れもん)も植えやうかと相談してゐる。
何をきっかけか、わが女房どのが昨今ネットを介して剪定と云ふ植木弄(いじ)りの術を会得、今日は温州明日は月桂樹と剪定を施し、今はほぼ全ての果樹たちが剪定の洗礼を受けてゐる。綱吉の生類哀れみの思ひやらが、どうやら私の心象のどこかにあるらしく、とくにこの歳になると、草花にせよ小獣や虫たちにせよ、虐めてはならぬぞよとの感覚が強くなる。ものを知らぬ若ぶりには否応もなく取り潰してゐた蟻んこやこ蜘蛛など、今はそっと逃すことが多くなった。枝葉をめった切りにされる果樹を見ると胸が痛むのであるが、丸裸にして大丈夫かと聞けば、心得てゐると胸を叩くではないか。
女性(にょしょう)とは生来たくましき生き物ぞ、と納得はしながらも、剪定された無花果を見ると愕然とすらする。生類には無花果も入れば金柑も柚子も入る。それぞれが寒々となった姿は見るも痛ましい。たしかに街路のポプラなどは殆どの枝を切られて春には緑の葉を付けるではないか。一昨年、ほぼ坊主にした裏の柿の木も、見れば切り口から垂直に百に近い若枝を伸ばしてゐる。
さて、その剪定作業から乙な副産物が後追ひで生まれた。切り落とした樹々の枝葉が溜まり焼却することになった。自前の焼却炉は半裁のドラム缶、これで焼かうと云ふことになって女房どのが一案、幸便に焼き芋は如何?それは名案とて、剪定の労苦を労(いたわ)って私が小遣ひから太めの紅東(べにあづま)を四本拠出する。
時ならぬ焚き火は冬のご馳走、芋の里に育った身としては戦中の芋責めが思ひ出されて感激は半ば、それでも紅東は見事に焼き上がって食後のデザートになった。剪定の功が生きて好みの焼き芋にありついた女房どのは、至極ご満悦で剪定話に果てしがない。
剪定の効果はこれぞと女房どのが指摘するのが甘夏の樹で、今年はこれが豊かに実り、五尺足らずの樹がつけた甘夏が何と三、四十個で、子飼ひの鶏たちの鶏糞の肥効を差し引いても画期的な出来だ。それが剪定の効果だと言はれれば、返す言葉もない。これは最早期して結果を待つべし、か。
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