器械には滅法弱い、弱いからこのコンピュータ絡みの作業も理屈は一切知らず、ひたすら便宜性だけを追ふ輩だ。だから、user-friendlyと云ふ触れ込みに乗って専らマックを愛用してをる。生来、理系ではない質だから、ものの発想が勢ひ観念的に傾き、ひょんなことを妄想もし幻想すらも逞しくする。所詮は世迷い言、本稿はそんな思ひの迸(ほとばし)りとご承知いただきたい。
暫く聞かなかったが、ここにきて隣の国が物騒な飛行体を撃ち出しては世間を騒がせてをる。陸の線路から飛ばしたり潜水艦に備えて海中から噴き出させたり、あれこれと手管を弄して、1000キロ超えたのどうのとやりたい放題だ。その北方の某国は大陸を跨いだ足の長い奴を持ってゐると嘯(うそぶ)く始末。
政治臭の強い話題には深掘りしない姿勢だが、この一連のミサイル話しに触発されて、筆者にある思ひが芽生へた。コロナの鬱陶しさを忘れる効果はあらうか、と、ひと話しお聞きいただけまいか。器械音痴の云ふことだ。軽くお聞き流しいただき、ひと理屈あるなと思はれたらニンマリとさえしていただければ、筆者の満足これに過ぎるものはない。
昨今、サイバー云々と云ふことを屡々(しばしば)耳にする。AIが囲碁や将棋で人智を凌駕して驚いてをったら、今や人間生活の細部にまで入り込んで、時に人の生来の機能を弱体化してさえもゐるらしい。このミサイル話もどうやらその流れの最たる成果と思(おぼし)く、果てしも無い開発が畢竟人間を追ひ詰める結果になりはせぬか、と危惧するのだが如何。
ミサイルを発射する、目標を如何に正確に射抜くか、相手の迎撃を誤りなく抑えるかなどなど、技術力の粋を尽くして武器の開発が続いてをるのだが、双方が究極的にそれを成しげたら如何ならうか。互いに機を窺いながら様子見外交を展開するのだが、所詮人間のやることだ、最終ボタンを押す人間の精神状態如何では、誤射を含む異常事態が決して無くはない。異様な緊張状態が常態になる。何とも危なっかしいシチュエイションではある。人は核兵器の開発以来、何十年とこの緊張状態に耐えて来た。
そこで筆者に一案がある。
前述の如く、これはおよそ器械に疎いレイマンの発想だ。聞いて吹き出して、バカを云ふなとほざく前に、一瞬でもいい、世迷い言ながら一寸の真理があると認めて欲しい。技術の粋を傾ければ、どうだらうか、敵のミサイルの発射直後から数秒の間に、その先端部分を感知してミサイルの飛行方向を操作、何やらの手段でその方向を発射地点に逆転させる事ができれば、ミサイルは「発射した場所に着弾する」という結果を生む。称して、ブーメラン効果。その瞬間、核兵器は消えやう。
核抑止は軍事と民事に跨るムーヴメントで、東北震災に見る核災害はなお残っても、ミサイルの撃ち合いで相互ジェノサイドを具現することの愚は収まる。ミサイルのブーメラン効果は夢、夢かも知れぬが科学はそもそも夢を追ふことが本義だ。本義なら、科学者たるもの、是非この遠大な夢を追ひかけて欲しい。春ならぬ秋の夢、正夢たれかし。
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