変貌するアメリカ(51)

苦学記を綴る筆が鈍ってゐる。BLMの嵐が吹き荒れる最中に、ボイシに住まふ旧友と交わしたメールに滲むあの国の苦渋の深さが思われ、60年余も前の昔話を語るには筆が如何にも重い。あのアメリカが変貌したとの実感が滅法強く、綴るにも言葉が容易に浮かばない。だから、本稿は苦学記の本筋を離れて、そんなアメリカを眼前に見据えて半世紀余の月日が彼の国を如何に変貌させたか、ささやかな実感を込めて語らせていただく。

さう、私が辿り着いた1950年代半ばのアイダホ州ボイシは、かくもあらんと思ひ巡らしたアメリカの地ではとても無かった。素朴を絵に描いたやうな地で、戦争の相手国の若者だとて色目で見られまいかのいっ時の懸念は霧消、巷にも戦争の傷跡はおろか痕跡すらも見当たらなかった。戦時下、あれほどの戦禍を忍び、かほどの辛苦を重ねた経験が空虚にも思えたのだから、その乖離は大きく、我ながら思考の落とし所に迷ったほど強烈だったのだ。

ほぼ10年前、結婚75周年(プラチナ婚)を迎える恩師を訪ねんと、愚妻を伴ってボイシに行った。その折のボイシの印象を、何と温和な好ましい街かと愚妻は今でも思い出話をする。道が広がり見知らぬ建物が佇ち、母校も別物かと訝るほどに大きくなってはゐたが、ボイシの街の佇まいは昔と変わらず、佳きアメリカの風情はしっかり生きていた。

その後、トランプ大統領の登場からAmerica Firstの風が吹き、その風下にBLMなる異形の社会風潮が露わになり、それがうねりとなって保守の砦を冒し、瞬く間にアメリカの形相を変えた。怒りの葡萄のジョード一家が目指した理想郷カリフォルニアは様相一変、いまはまともなアメリカ人は彼の地を見限ってネヴァダへユタへ滔々と移住し去り、残滓は見るも無残な無法の地と化した、とか。

大統領選挙の最中には、トランプの勝利を願い、それを信じてほぼ日毎に動静報告を送ってくれていたボイシの旧友(昔日の思ひ」参照)からは、ご存知の結末以降はたと筆が絶え、私も気持ちを慮(おもんばか)って無音でうち過ぎてゐる。仄聞するところ、保守のエクソダスはネヴァダやユタを越へてアイダホにも及んでゐるとか。あのボイシがBLM難民で溢れてゐるのか。新コロの災いもほどほどに凌いでゐたアイダホも、 BLMとのダブルパンチで傷んでいるのか。温和で好ましかりしボイシもlawless townと化したのか。旧友の便りが途絶えた曰くが垣間見える。

だから気が重いのだ。その重荷が筆に乗り掛かり書く気を萎えさせるのだ。苦学記に綴る出来事は私ごとだが、描かれるその背景はあの頃のアメリカだから、憐憫の情も手伝って話がどうしても歪む。

敗戦の無念と怨念が潜在する心理を圧して、昨日の敵国をわが目で見たしの一念で渡米した筆者が見たアメリカは、人なら別人だった。戦後10年、50年代半ばのアメリカの国威は鰻登り、次々に新車が売り出されるカーブームが緒についてゐた。国民は得意の意気旺盛で見るからに自信に満ちてゐた。70年代半ば、恩師のチェイフィー夫妻を訪ねた折も、アメリカはあの時のアメリカだった。10年ほど前に音楽の恩師夫妻を訪ねた時のアメリカも、見聞した範囲での印象はほぼ同じアメリカだった。

それが、ここに来てアメリカは驚天動地さながらに豹変してゐる。ロスなどはナイーヴな日本人など街を歩くべからずと云ふほどの乱脈ぶりだ、と。学問的に負ふところが多い筆者には、アメリカはいわば第二の故郷だ。素直に幸多かれと祈りたい。だから、彼の地で過ごした年月を辿る苦学記は、何とか恙無く綴り了えたいものだ。

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