例の疫病(以後、いま風に「新コロ」と呼ぼうか)蔓延の真っ只中に時ならぬ政治騒動が突発して、いま巷は滅法騒がしい。その政治騒動とは、他ならぬ自民党の総裁選挙だ。日頃から政治絡みのネタは焦げ臭いから避けてをる筆者だが、今次のネタはひと味違い、その展開具合ひが異例づくしかつ予測不能で、それが日本の有り様に直に関わる意味合ひが深いだけに、ここはひと言あるべしとて敢えて触れてみたいのだ。
発端は現首相の突如の辞意、それが大方の見方を狂わすことになり、あわよくばわが国初の女性宰相の誕生あるか、と云ふドラマが進行しているのだ。衆議院選挙を控へて、下降気味の党勢に怖気付く自民党員が格好な神輿を担ぎたい裏心から、新総裁つまり新首相に誰を選ぶか、と云ふ焦点に全ての関心が集中してをる。
そのドラマが何とも見応えのある筋で、政治ネタを敬遠する筆者を書く気にさせるほどの迫力があるのだ。背景を言ふなら、まず自民党に昨今只ならぬ左傾乃至リベラル化の気配があり、その反動からグッと保守へ舵を切り替えやうとの動きが見えてゐた矢先に、今次総裁選にある女性議員が出馬を決めたことに端を発する。その女性議員は生粋の保守で、彼女の総裁選出馬が野党の群れに、嘘か誠か、恐怖感を与へてゐると云ふ話だ。新コロ対策に苦しむ菅首相の辞意を追ひ風と捉え、保守とは言えぬ他候補なら御し易しと考えて衆院選挙を楽観し、何と、政権交代など愚にもつかぬ言質を弄している野党の群れには、これは予想だにせぬ出来事に違ひないのだ。
その焦点の女性議員とは、他ならぬ高市早苗女史だ。口汚い左傾言論人が”女オジサン”などと腐すほどの、女性には稀なる闊達な言動、見事に練れた資料を披瀝するに堂々たる姿勢、立板に何とやらという淀みない語り口などなど、高市女史には稀有なオーラを発する何かがある。
えらい賛辞だと訝るだらうが、筆者はそんな印象をついさっき感じたばかり。同女史の総裁選出馬記者会見を見ての実感を、右から左へ述べたまでなのだ。高市早苗という奈良県出身の政治家について、これまで見聞きはしてゐたが実像をしげしげと認識する折はなかった筆者は、小一時間に及ぶ彼女の語りを聴きながら、久し振りに心を揺すられる思ひがした。日本かくあれかしとの想いが、淀みのない語りに溢れていた。野党が何故高市女史を恐れるのか、その理由がすとんと呑み込めたのである。
いま、自民党総裁選に出馬を噂される群像を眺め、そこに野党の群れの苛立ちに似た動きを織り込みながら、筆者は一幅の絵を描いてほくそ笑んでいる。高市女史には安倍前首相の支持があるという。さらに、例の共同通信あがりの参議院議員、青山繁晴氏が同女史の依頼に応えて支持に回るという。一寸先は闇という政治の世界、意想外の展開がありうるはずだ。百代目と云ふ自民党総裁に女性議員が就くと云ふ痛快な事件が起きてもよかろうと云ふものだ。
出馬記者会見の翌日、九月九日の時点ではそのような予測には何の根拠もない。ないが、勝手気儘な予感を敢えて云ふなら、これが現実になる可能性は確かに増してをる。いや、あの記者会見での気迫を思ふにつけ、どうやら第百代自民党総裁高市早苗の誕生がありうる乃至あれかし、と願ふ次第である。その暁には、しばらく前に本欄(「路頭に迷ふの記」)で自民党への落胆をぼやいたひと言「総選挙では白紙を投じるか…」は撤回、安んじて支持票を投じる気持ちにもならうか、さて。
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