いや、このたびのコロナ騒ぎには往生する。夏になれば消えるよとはとんだ見当違ひ、この疫病は猛暑の中いよいよ勢ひ衰えず巷に蔓延ってゐる。今更ながらに五輪どうするの議論が空虚に響き、悪くすれば来年も無理だらう、いやこの際休止だ妥当だらうなどの悲観論も聞こえる。鬱陶しい話だ。
さう云へば、コロナとは金環、金環と云えば堂々めぐりで太陽のコロナのこと。三密のマスクのと縛られた思考が、ふとそんなことに及び、及び序でにある推理小説を思ひ出させる。ご存知、松本清張の短編「金環食」だ。疫病のコロナをしばし忘れてこの話題作を思ひ出さうと云ふ趣向だ。
戦後まだ3年の1948年、戦禍のまだ癒えぬ世界は時ならぬ金環食の話題で賑わってゐた。観測地の一つ北海道の礼文島に各国の観測陣が集まった。此処では2秒そこそこの日食が予想されるという。取材の新聞記者の語りという体裁のこの短編は、その金環食の日を3月として実際の5月9日から2ヶ月ずらしてあるが、これは実話をオブラートで包む清張の隠れた配慮だ。
当時13歳の筆者は、この出来事を伝える新聞記事を鮮明に覚えている。金環をコロナと呼ぶことも、英語を敵性語として避ける雰囲気がまだあったから妙に新鮮だった。後になって清張が1960年に書いた「金環食」で、礼文島にはアメリカの観測隊もいて、日本の観測陣とは日食予測地を違えて観測結果を競っていた経緯を知り、今なお少国民のささやかな反米感情を宿していた筆者は、礼文島での時ならぬ日米の科学の鍔迫り合いに興奮さえした。
翌日10日の新聞は朝刊トップに派手な記事が踊った。「礼文島にあがる歓声/見事捕えた金環食/直前雲はれ幸運の観測」。日本の観測隊はアメリカ隊に加わった者とは離れて、某老研究者率いる別働隊が独自の日食予測地を選んだ待機してゐた。これが見事に成果を挙げた経緯が報道されてゐた。
清張の短編にはその辺りが独特な筆致で描かれており、アメリカを向こうに回して見事凱歌を挙げる下りには、終戦後まだ日が浅く心中なお交戦中のアメリカに科学で鼻を明かせた快感は、筆者には言葉に尽くせぬものがあった。独自の日食観測地点を予測した老研究者の計算が正しくて、日本側の観測地点がより中心線近かった。その発表を報じる記事が「日本日食観測陣の勝利」と云ふ見出しで大きく載るのも見て、ぐっと迫るものがあった。
図らずも戦後程ない少国民の心情を慰め労った礼文島の金環食事件、今にして思えば懐かしい。その一件を描いた松本清張の「金環食」は快い太鼓の響きに似て筆者の溜飲をさげ、それを切っ掛けに清張物を読み漁る癖が身に付いたのも因果である。
ふとわれに返れば、武漢由来のコロナが居座ってゐる。礼文島で和んだ気分が途端に萎へる。かくなる上はひたすら身を律して、一刻もはやくこの疫病コロナを駆逐せねばならぬ。それにしても、次の金環食はいつのことか。
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