コロナが薄気味悪いから外出を控へる、読書が増す、土いぢりで疲れを癒す。何のことはない、晴耕雨読を地で行く日々が三ヶ月余となって、畑の作物たちの威勢がぐんとよくなった。
苗がひ弱で収穫を危ぶんでゐた玉葱が、そのせいもあろうか、見事に育って例の「ステーキ」になって食卓を賑わしており、しこたま植えたインゲンが、この処の暑さもあってか、一斉に実が育ってゐる。好物の胡麻よごしがふんだんに出るだらうと、待ち望んでいる。

そればかりではない。男爵がいつでも掘れる状態になってゐる。ジャガイモだ。今年はキタアカリも仕込んだから、ほぼ周年の需要は賄へると決まった。
さて、本題だ。夫婦共に矢鱈に本を読むから目を痛める。ティアバランスなど点眼で養生はするものの、どうしても目の疲れはほぼ絶え間がない。そこで一計を案じて、目にいいというブルーベリーの栽培を始めた。最寄りの農具店で程良い苗を三株求め、庭の東南、日当たりのよい芝沿いに植へ込む。三年ほど前のことだ。
ブルーベリーは水を好むと云ふ。水分補給が肝心だとて、それぞれの株に手製のサイフォンを備え付ける。予め施しておいた遅効性の肥料が効いてくれば、翌年にはブルーベリーを摘めるか、と入れた算盤が裏目にでた。
自然とはよくしたものだ。花は咲くべくして咲き、実は成るべくして成ると云ふ摂理をわがブルーベリーは教えてくれた。一年後、小豆サイズの実が三つ四つ付いたが、遂にブルーにはならずに萎びて落ちた。樹勢も気なしか弱い。根回りの土を耕し、張り始めた樹枝の保護を策して、五本組みの支柱を立てて万策を講じた。去年の秋のことだ。
桃栗三年というではないか、ブルーベリーとて一年で実をつける筈もなからうと、半ば自己憐憫の思い込みで、水やり草取り肥やしの管理と、精を込めてブルーベリーを労り続けた末、今年わがブルーベリーが初の実を結んでくれた。

それと気付いた愚妻が鳥に喰われてなるものか、と勇んで摘み取ってきたのを見れば、見事にブルーである。四五日前はまだ緑っぽかった実が今朝になって変色したのだ。これぞ自然の巧み、ただ脱帽である。

摘みたてのブルーベリーが、朝食に出たのは云ふまでもない。咬めば紛れもなくブルーベリー、こよなく美味い。目が見えるやうになった気がする、と愚妻。これであの三株のブルーベリーが盛(さか)って、ふんだんの実を付けるとなれば、衰えが目立つわが目の玉が驚いて蘇生するや知れぬ。いや、得も云はれぬ晴耕雨読の徳ではある。
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