わが庵は昔なら武蔵国足立郡と云ふ、ど田舎にある。この辺りでは山と云ふのは林のことで、こんもりと小高い丘ですらない雑木林だ。だからあたり一面は平らで地面に起伏がない。それが武蔵野だと云えばそれまでだが、ひたすら平べったい。だから林が山に見えるのも道理だ。
そんな土地柄だが、この辺りにも取り柄がある。西方の丘陵地帯に広がる自然公園、その名も森林公園と親しまれてゐる一帯がある。これが何と国立の公園で正式には武蔵丘陵森林公園と云ふ見事な自然公園だ。平日で人は少なかろうしコロナ疲れを癒すには格好だと、先日そこへいそいそと車を向けた。

森林公園は初めてではない。生前母に野花を見せようと連れて来たのがここで、車椅子ながら大いに愉しんでもらった記憶が懐かしい。久し振りの森林公園は以来十数年の造園の功かぐんと成長してゐた。ネモフィラの見事な群生やポピー畑の圧巻も然りながら、武蔵ならではの赤松の林立が堂々としてゐる。散歩の道すがら、路側に伸びる一本に目が止まる。地表から2メートル辺りまで幹が縄状に撚(よ)れて、その先はすっと伸びている。隣の木との競り合いか風の悪戯か、それとも赤松の特性か、自問自答しながらの散策はあきることがない。
さて話題のネモフィラは将に花盛り、一面の花畑はターコイスブルーの海だ。視界130度か、斜面に広がるネモフィラは折柄の陽光に輝いている。寄ってみれば、満開を知って群れ来たった蜜蜂が無数に飛び交う。花から花へ一心不乱に蜜を漁るさまはいじらしくも頼もしくもある。コロナを余所(よそ)に三つならぬ四つも五つも蜜に集りまくるさまは羨ましくもある。

武蔵丘陵森林公園の呼び物はその圧倒的な広がりだ。敷地総面積は304ヘクタール、東京ドーム65個分だそうだ。程良い起伏の丘が連なり随所に沼があって、散策を飽きさせることがない。膝を治療して回復期の私には格好な歩き場であり、脚力回復度合いを知るテスト場でもある。
そんな気構へもあって、この日の散策では事前に期するところがあった。手摺りは使うまい、起伏を意に介すまい、膝の筋肉と腱の悲鳴には耳を貸すまい、と。意地を張り合うにも己以外には誰もゐるわけもなし、1万2000余歩の散策は見事遂げた。一挙に五桁の歩きは手術の後にも先にも記憶がない。

他人事ではない。膝の回復は残る何年かの歳月の成果を左右する鍵なのだ。実感では旬日単位でアジリティーが戻っており、段差への気後れがめっきり消えたことから、コロナのピークアウトを願うトランプの言い草ではないがトンネルの向こうに灯りが見えてゐる。
森林公園での数刻は、ネモフィラや赤松の視覚的魅力にも増して沛然たる健康への自信を与える時間だった。さうだ、ここは山羊たちのゐる東松山のこども動物公園と並んで、完全復調への格好なテストコースになるかも知れない。
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