春三月がよしと云はれる宝登山神社に、今日、立春を期して詣って来た次第。動機が奮っている。コロナ騒ぎの最中、人混みを避けつつ浩然の気を養ふには、と愚妻が手繰った情報が奥秩父、長瀞の辺りの宝登山行だ。神社は二月三日が節分追儺祭で節分に纏わる縁起もよし、折柄の蝋梅も開花して程ないことだし、養生中の私の膝にも格好の運動に、との筋立てで勇んで車を出した。
宝登山は初めてではない。子供のころの遠足行とは別に何度か詣っており、何年か前は参道沿いの氷屋で秩父の曰く有りげなかき氷を千円で食はされた切ない思ひ出が忘れられぬ。宝登山神社は神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)つまり神武天皇を主神に大山祇神に火産霊神の三柱を祀る由緒正しい社だ。この山はかつて火止山と古称されていたと云ふのが面白い。火止とは火を止めた由緒があり、これには例の日本武尊と犬たちが絡んでゐる。この落魄の王子はどうも火難の相があるやうで、焼津ばかりかこの秩父でも野火に捲かれて危ふいところを犬の群れに助けられたと云ふ逸話がある。だからここは秋葉を並んで火難の守りで知られてゐる。
季節の花、蝋梅(ろうばい)が予想以上に見事、宝登山頂下に咲き誇る黄金食のこの花群は、500m弱のこの山を数m盛り上げるかの風情が、杖と愚妻の肩を頼りに登り切った私にはまたとない馳走だった。
山頂から見下ろす長瀞は流石に秩父の町、コロナ騒ぎには縁がなからうが、ここは一番、巷の喧噪に汚されることのないやうに、と祈るや切である。
えいままよと奥の院まで足を伸ばす。飾り気のない小社、妙にけばけばしく人手の掛かった造りが一切無い素朴さが大いに気にいった。気をよくして茶屋の老婆に味噌田楽を所望、お世辞に髭を褒められて恐縮。
降り道は随所に危険が潜在して、足元には滅法気を遣った。幸ひ裸足の指先は生きもののやうに土を食み根を咬み込んで、地面の凹凸は鮮やかに凌ぐ。腿回りの筋肉が未だしだが、膝の物理性はほぼ満足なだけに、ここ一番安定しないのが何とも恨みだ。それでも、先日の台湾行と云ひこのたびの宝登山と云ひ、術後九ヶ月のわが膝たちは当初の予想を遙かに上回って回復してゐる。何はともあれ、安堵安堵である。
帰宅するや、宝登山神社で戴いた福豆(何と一袋余計にゲット)を握って愚妻曰く、年女とていざ撒かんと勇む。立春前夜、中味の豊かな一日がこうして暮れた。
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