Next, next, next station!

2ヶ月ほどで85歳にもならうと云ふ老骨、語る話もとかく昔話になりがちだが、それはそれ隔世の感もまた佳きもの、ひとつ面白い逸話をご披露しよう。

昭和10年生まれだから切れ目の10歳のとき大東亜戦争が終わった。昭和20年、学制が6334に変わり、新制中学では敵性語の英語を教わることになった。

”Let’s Learn English”といふ即席教科書、これは知らぬまに”Jack and Betty”に切り替わったが、日本を負かした国の言葉に取り憑かれて、その気になって勉強した。そして中学から高校へ、これも新制高校で敢えて難関の浦高を受験して合格、汽車通学をすることになった。昭和25年、これはその頃の話だ。

桶川の在の加納はまだ村だった。自転車で桶川駅まで、そこから高崎線で大宮、省線(京浜線をさう呼んでゐた)で北浦和への汽車・電車通学だ。高崎線は当時東海道線の使ひ古しの小豆色の車両が使ひ回されて、見窄(すぼ)らしかった。混雑の車内は避けて、乗降デッキで立ちっぱなしはいつものことだ。その日は桶川への帰り道、連結器の上下動を足裏に感じながら、ふと見ると、隣の車両の入り口のガラスに OFF LIMIT とある。

終戦5年後、高崎線にも進駐軍専用車両が連結してあり、GI(兵士の俗称)や軍関係者が乗ってゐた。その車両の入り口の OFF LIMIT は「日本人乗るべからず」の意味合ひだとは聞き知ってゐた。

大宮、宮原を過ぎて上尾に停車、連結器が軋んで発車した直後、OFF LIMITの向こう側の様子を窺ってゐたその時、出てきた一人のGIが私を見て不意に訊ねた。勿論英語で、である。英語を習ひ始めてまだ4年目、会話などできようはずもない。兵隊が手振りで進行方向を指さして喋る言葉のなかに、どうやらコウノスと云ふ『音』が聞こえる。さう云っては此方を伺うやうに首をすくめる。

途方に暮れた。暮れながらも考へた。コウノスなら鴻巣のこと、桶川、北本、鴻巣と3つ目の駅だ。鴻巣はどこかと聞いてゐるのか、鴻巣までどれほどかとでも聞いてゐるのか。「鴻巣は三つ目の駅だ」と云へばよからうと瞬時に弁(わきま)へたのはよかったのだが、それをどう英語で云ふのか咄嗟(とっさ)に浮かばない、と云ふよりは、云へないのだ。こっちの眼を見て返事を待ってゐるそのアメリカ人は、鬼畜米英のアメリカ人には見えなかった。よし、と臍を固めて口走った。

“Kounosu is next, next, next station!”

次ぎに降りる桶川を入れて3つ目の駅だ、と云ひたいのだがとても無理、あの日あの時はあれが目一杯だったのだ。どうなることかと気になったが、そのアメリカ兵は満面に笑みを浮かべて、よく分かったと云ふ風情で握手を求めてきた。すっかり舞ひ上がったまま、握り返す自分の掌がすっかり汗ばんでゐたのを覚えてゐる。

英語でない英語が通じたことは、あの日以降の私の英語生活に只ならぬインパクトを残した。あの日、言葉のfunctionについて、未だ未熟な私の言語意識が塗り変わった。言葉の有機性とは、というテーゼはあの経験から絶えることなく私の意識下にある。あのときの経験が土台になって、英語を生きものと意識して読み、書き、聴いて喋ると云ふ習慣が根付き、しっかり根を張って今日に至ってゐる。

さても思い出深い出来事だった。さう、Next, next, next stationという英語も捨てたものじゃないのである。 

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