明治節、いや、今は文化の日とやら称へるこの日、わが庵では桜の古木(前記事「老木樵の意気込み」を参照のこと)が惜しまれつつ伐り倒された。送電線に触るからと云ふ理由で、樹高を縮めることを検討すること半年、梢部分の枝葉を切り落とすことで済ますか、いっそ地上五、六尺で伐るか思案してきたが、とどのつまり後者の選択肢を採って今日の作業となった。
地上五、六尺辺りの樹径が二尺弱、樹高が二丈余の桜の木はおいそれとは伐れない。本来なら職人を雇って、枝葉を落とした上で幹を小ぶりに伐り落とすところだが、私は心のどこかに潜むこの桜への思ひ入れから、何とか自力で伐り倒す策を凝らした。「五重塔」の十兵衛の思惑に重なる執念か。
猫の額ほどの庭だ、倒れる方角次第では他の樹木や庵の庇(ひさし)にも障らうから、綿密に段取りをしなければならぬ。忘れかけた三角法を応用して梢部分の堕ち具合を算定、隣の樹木を頼りに引き綱を掛ければ如何、などと素人なりの段取りを考えた。よしこれで良かろうと決めては首を傾げ、太い幹は間違いなく思ひ通りに倒れてくれるか、など頼りない思案の繰り返し。愚妻は私の身に障ってはと職人捜しを始める傍ら、十兵衛紛いの私はそれを制止して専ら自力を唱える。
すったもんだの議論を自説で説き伏せ、チェインソーを新調して今日、明治節だからと懸案の実行に及んだ次第。内心は案に相違の事故なども怖れながら、熊谷から弟を呼び寄せ、愚妻にも云い含めて午後一時を期して作業に入った。
倒したい方向にV字の刻みを入れ、逆側に徐々に鋸目を入れながら引き倒さうと云ふ算段。引き綱はすでに三日前に設へてあり、隣のクルミの木の梢を介して引くまでになってゐる。刻みを入れ、引き綱を張った状態で反対の鋸目を入れる作業の何と怖ろしげなこと。鋸目を半寸入れては止め、また入れては止めてほぼ五分ほど、一二の三で綱を引かせた瞬間にさしもの幹が軋んで、太い幹が一挙に倒れた。見事、自力完遂の瞬間だ。
倒れた桜の古木は、見上げたとき想定した以上の太さだ。まかり間違えば、これが頭上に堕ちぬとも限らぬ。伐り倒してからの述懐、「司司(つかさつかさ)とはよく云ったものよ」。横になった桜の古木をしげしげと眺めながら、背筋が寒くなった。
老桜よ、さらば。わが庵の老桜は、かうして地上六尺を残して消へた。やがて徐々に生え揃うだらう新芽を育てて、次世代の桜を咲かせやうと、今から愉しみにしてゐる。
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