いつだったか、松本清張を偲ぶテレビ番組で「博多夜船」を聴いた。それも音丸ではなしに都はるみで、画面でそれを聴く清張の思ひ込む風情が妙に心を打った。さうして、これまでさして耳に留まらまかったこの唄に、無闇に惹かれるやうになった。
四十代、印刷工時代の清張が同僚の口ずさむこの唄にうるっとした話は泣かせる。「西郷札」以前の失意の日々を思ひ返してか、清張ははるみ節の「博多夜船」に瞑目して聴き入った。音丸で売った世間並みの芸者唄よとあしらっていたこの唄に、俄に命が宿ったかに思へたのである。
早速に音丸の75回転を聴き、美空ひばりを聴き、有名無名の歌姫が唄い込むのを聴いて、この唄の只ならぬ艶に痺れた。採譜して悉(つぶさ)に読み解けば、これは巧みに編み上げられた和調旋律、それも並々ならぬ手練れの手に掛かるものに相違ない。調べて見ればそれもその筈、これは和調流行り唄の名手、大村能章の作、わが愛唱歌「お駒恋姿」の産みの親ではないか。東海林太郎の十八番はほぼこの作家の旋律、海軍軍楽隊の背景が訝(いぶか)られるほどの才だ。
「博多夜船」の素性が知れた今、和調流行り唄には眼がない身、俄にこの唄にのめり込んだ。小節の艶、旋律の妙、音感の味わひ、どれを取っても稀な逸品。様々に資料を漁る道すがらに、親日の台湾でこの唄が好まれて唄われている噂を聞き込んだ。
噂を裏付ける事実が続々と顕れた。「博多夜船」はあの島国で生まれ変わっていた。和食が海を渡って変容するように、「博多夜船」は台湾で名も「夜港邊」と変わり、別な趣きの唄になっていた。親日の島国台湾だから、原詩を織り込んでの折衷歌詞、テンポをぐっと下げての魅力的な和調歌謡に蘇生していた。
周思潔と云ふ名の歌姫は、金管の伴奏に乗ってしっとりと唄い込み、元歌の芸者唄臭を漉し取って和調バラードに仕上げてゐる。見事だ。
ほかに方怡萍の唄う「博多夜船」は、ついにここまで来るか、の印象が強烈だ。
台湾の人びとはこの唄を余程好むやうで、「博多夜船」は歌詞なしの演奏でも広く定着してゐるやうだ。
「博多夜船」。和調流行り唄は星の数ほどあり、名匠大村能章の作とはいえこの唄にとくに拘る謂われはない。只々、落魄の清張がそれ程の思ひで聴いたという唄だからこそだ。だが、聴き込むほどに、この唄は清張ならずとも聴き惚れる旋律だ。どうやら十八番の和調流行り唄に「博多夜船」が仲間入りしさうだ。
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