近ごろ柄にないことを始めて戸惑ってゐる。他でもない、巷に流行のツイッターなる「下手物」(ゲテモノ)に手を染めてゐるのだ。動機は何といふこともない、日頃巣くっているランサーズで企画してくれた「生涯現役キャンペーン」なるものに最高齢ランサーなる芸名の三枚目に抜擢され、その条件にこれを始める羽目になったのだ。
ツイッターなるものは知らないわけではなかった。何でも鳥の鳴き声から発想したネット上の交流場で、フォローしたとかされたとか、いいねを押したとかリツイートされたとか、矢鱈に術語が飛び交う今風なサイトとは承知してゐた。それが、いま迷ひ込んでみるとさながら駄弁の渦に吸ひ込まれたやうな、おしゃべりが争って言挙げしてゐるやうな、なんとも不気味な場だ。
それでも、ランサーの企画の一環とて、素気ない態度もどうかと斟酌して二歩三歩、探り歩いてほぼひと月経ってみれば、これもネットの多面の一枚、その絡繰(からく)りを呑み込めさへすれば、わがキンドル本らの捌け口にもならうかと、いま鋭意学習の最中だ。
巷ではツイートを呟きと称してゐるがこれは誤り、本来は囀(さえず)りが正しい。呟かうと囀らうと、がやがや感に替はりはなく、他力本願の現代人が他人様の顔色を窺いながら、あわよくば他人を出し抜いたり抱え込んだり、肩寄せ合って和んだりの場として何と格好なことか。二三歩歩いただけで私には大いに悟るモノがある。謂わば、人心収攬(しうらん)のまたとなき場、今風の巷、浮世だと思へば、知恵を傾けて操作する価値があるかも知れない。
じっと観察すると面白いことに気づく。ツイートなるお喋りは一回140字と決まってをり、その字数を最大限プレイアップする技を競ふのだ。写真や動画をあしらって効果を狙ふのがどうやらコツのやうだ。140字のドラマを演出しつつ喋りまくりながら、それぞれオブラートに包んだ意図を遂げるわけだ。
さうと分かれば、ツイートもそれなりに重宝なツールだ。芸もないお喋りには耳を貸さず、ひたすら140字に託して此方(こっち)の云ひ分に巷の耳目を引き寄せるに若くはない。
ひとつには、わが英語話しをまな板に言葉の蘊蓄を傾け、大向かうの喝采を引き出すこと。ふたつには、すでに上梓し終へたキンドル本を巷に流布し、勢ひを駆ってわが思ふところを書き連ね、あわよくば電子書籍の山を築くこと。
となれば、お喋りの場と見くびったはわが勘違ひ、ツイッターは稀に見る情報拡散のツールかも知れない。ここは一番座り直し、このツール、念を入れて学習し直すに若くはなからう。
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