愛犬に死なれて墓を建て、もう犬は飼えそうもないと嘆くほど犬が好きな私は、戦地に屍を晒した軍馬たちへの想いが増幅して、戯れに軍歌を唄うとき歌詞に「馬」の字が出るや途端に涙腺が緩み旋律が途絶えるほど馬も好きだ。その馬たちが勢揃いするという「集まれ!ぐんまのはにわたち」という企画展に惹かれて、今日は勇んで高崎まで出向いた。
そう云えば長いこと電車に乗っていないなとの独り言を聞きつけた愚妻が、これはどうかと同展への日帰りの旅に誘ったのだ。例の膝のリハビリの成果を実地に確かめるためにも格好な機会だと、一も二もなくその気になって、珍しく朝8時に起きて、何年ぶりかの電車の旅に万端整えたのだった。
兼ねてから、東北大名誉教授の田中英道さんが唱える日本文明関東東北発祥説に大いに賛同し、埴輪や土偶が北関東周辺に多く出土する経緯に注目していたこともあって、この企画展には俄に注目、馬の群れる里だから埴輪もさぞ馬が多かろうという算段も手伝って、嬉々として出向いたのである。ちなみに、田中さんも同展最終日の9月1日に訪れられるとの話で、どうせなら同じ日にと企んだのだが、生憎先約の行事があり断念した。
1時間ほど電車にゆられて高崎で降り、30分近くバスに乗って博物館にたどり着いた。そこには、予想に違(たが)わず馬が群れていた。数多くの馬型埴輪のなかに、ひとを乗せた馬が二頭もいた。騎士のひとりは一見幼児のようだが矢入れを背負っているから成人武人だ。もうひとりは格段に巧みな武人像で、太刀を佩(は)き弓矢の防具、鞆を付けている。彼らを乗せる馬たちの飽くまで大らかな風情が心を打つ。
馬好きとは云え馬ばかりを見ていたのでは当然ない。犬も猪も鹿もいた。鶏もいた。縄文の昔、彼岸と此岸を繋ぐと云われていた雄鶏のときの声が聞こえるかと思える姿は、大地を踏ん張る三本指の緊張感から到底埴輪とは思えない。鶏舎を営む愚妻は此処を先途とシャッターを切っていた。
馬はさておき、人物埴輪の群れは、その多彩と繊細とで形容し難い魅力に溢れる。面相の鮮やかな一刀彫りは、昨今の彫刻美学を遙かに超え、二千有余年前の審美眼の如何なるかを見て、只々圧倒された。そんな眼はさらさら持たぬ私は、中でも「ひざまづく男子」という埴輪に惹き付けられた。魏志倭人伝で、倭の珍奇な風習として「下級のものが貴人に出会ったときは、跪いて、両手を地につけ、恭しさを顕す」などと印していることを思い出し、おおこれかと感動もした。さすが匠だけがなし得た造形かと感じ入った次第。
さて、膝のリハビリの成果といえば、これが頗(すこぶ)るよかったのである。電車行での難は皆無、途中の階段も手摺りこそ外せなかったが何の支障もなく企画展会場の群馬県立歴史博物館に着いた。場内の逍遙は知らずに疲労が溜まるものの、それも折々の着席休息で凌(しのぎ)切った。つまり、万事成功裏の試みだった。これで、程ほどの電車行は一向に苦にならない感覚が身に付いた。これは万々歳である。
こうして、馬が群れる里へ旅した一日は、馬たちの群れを埴輪に見た愉快と膝の憂いをほぼ一掃した快感とで豊かに暮れた。旅を思い付いた愚妻の才覚にひたすら感謝、感謝である。
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