チャーリーのこと(39)

ボイシという街はアイダホ州の州都だ。ここがジャガイモの国とも知らず、ただ日本人の影もない処と選んだこと以外なんの因果もない土地だ。そこには摩天楼が連なる典型的なアメリカは影もなく、「アメリカを見るんだ」と気負った身には拍子抜けた土地柄だ。それでも開拓時代に西海岸へ抜けるオレンジトレイルの中継点として賑わった痕跡が、素朴な博物館の展示にも見られて、風土記的な切り口でアメリカを見る縁(よすが)に大いに惹かれた。

ボイシにほど近いカルドウエルの町は、私には懐かしい処だ。大学構内のアルバイトの足しに、ふた夏、ここに住み込んで土地のグロサリストアSafewayで働いた。パッカーである。レジで客の買い物をダンボール箱に詰めて車まで運ぶのだ。素早さと要領の良さを買われ、私は店長のチャーリーに重宝された。「ヤスを見習え!」とほかのパッカーたちは尻を叩かれ、いっとき私は白い眼で見られたものだ。

キャッシャーの叔母さんたちは、競って手早い私を指名して手早く客を捌こうとする。パッカーたちが負けじと動き回る。競争原理が働いて客捌きが捗り店が活性化する。それをチャーリーはにんまりと観察していた。

パッカーの声が掛かる合間は、品物を探す客に棚まで導いては売れ筋の情報を耳打ちする。チャーリーはそんな私の仕事振りも見ていたのだろう。ある日、ストックと棚揃えを見てくれないかと頼んできた。夜間勤務で手当が倍だという。夜間にストックから棚へ商品を補充する仕事だ。売れた数量と補充数量を把握できるから、売れ筋商品の動向も分かる。補充から動向の把握まで担当してくれぬかという話だ。

暑中休暇の有効活用は死活問題だ。一も二もなく請け合った私は、事実上昼夜労働を覚悟した。夜間とはいえ9時10時には上がるからほどほどの睡眠は取れる。結構な実入りになる。何よりもチャーリーに見込まれてのことだ。気が悪かろう筈もない。

ストック管理と補充の仕事は、倍の実入りに加えて時ならぬ生活実習の機会になった。生活用品の知識、価格動向、評判などなど、消費者目線からではない商品知識を身に付ける利得を得たのだ。飲み慣れていたコーヒーの種類、グラインドの違い、好み筋、売れ筋などがそれだ。チャーリーには明かさなかったが、夜間勤務中に若さ故の空腹を癒そうと、潰れたチキンの水煮缶を開いて食うこともあった。ほかの商品でも潰れた缶は多くあったから、折に触れて失敬していた。

チャーリーはことある毎に私の仕事振りを褒めた。日本人は働き者だから好きだとも云っていた。カルドウエルには日系の人たちが結構いると教えてくれた。店に野菜を納入する近在の農家、阿部さん一家を紹介してくれたのもチャーリーだ。阿部さんのこともいつか思い出すままにお話ししよう。

チャーリーと呼び捨てしながら苗字を思い出そうとしてもままならない。なにせ60年も前のこと、記憶がとみに薄れている。だが書きながらチャーリーの姿が浮かぶ。Safewayの店の佇(たたず)まいとともに、額が大きく禿げ上がった彼の笑顔が問い掛ける:Hi, Yasu. How’s everything?

(注)グロサリストア grocery store : 食糧雑貨店。日本での食品スーパー。

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