このところ熱中症で連日2桁の命が失われている様子がただ事ではない。暑さでそれほどの人が死ぬなど正気の沙汰ではなく、暑ければ穴にでも潜って難を避けるのが知恵の筈だが、どうやらそのような話ではないらしい。
熱中症という言葉はわりと新しい。どうやら地球温暖化などという言葉と同時発生したらしく、異常気象が夏に起きれば猛暑となって人命を脅かす。元を正せば二酸化炭素の件からオゾン層の破壊まで、どうやら人為的な禍の気配がするから、何のことはない、人は自分で熱したフライパンの上で踊っているようなものだ。
その昔、似たような症状を霍乱(かくらん)と云った。高熱の禍というよりは夏の不摂生からくる消化器系の病も含まれていた。支那ではこれはコレラのことだから、異常気象よりは異常環境の禍だ。生活環境が一段と進んだ今日、この古風な言葉が聞かれなくなった道理だ。
煎じ詰めれば、ひたすら高熱に冒される病の熱中症は、日射病と熱射病が異常気象で増幅されて起こる合併症だ。総体的な異常環境のストレスに耐えられない人が増えている結果、毎日のように人間が命を落としているのだから、これは将に異常事態、天下の一大事だ。
ならば、打つ手は二つある。異常環境そのものをどうにかするか、異常環境への人の耐性を高めるか、だ。前者はいま国際的規模の会議が催されて喧々諤々の議論が闘わされている。よしんば結論が出たにせよ、現実に成果を見るには半端ない時間が掛かる。何年河清を待つか、この間、異常気象は微かには改善されようが依然として残る。そうなれば、当面の策は残る一手、人の耐性を高めることしかない。

耐性を高める、などは云いやすく行い難い。暗闇になれて視力が高まるような物理的変化が、こと異常環境に対して起こるものかどうか。いく夏か酷暑を経験して、体温辺りの外気温なら凌げる耐性を身に付ければ、今風の体質ということで褒め称えられるかも知れない。だが、それは一部の元気者に限られる話で、高齢者や弱者はそうはいくまい。耐性改善を謳う何かのサプリでも発明されて一挙に問題解決になればよし、その類(たぐい)は気休めにもならぬ話だ。つまり耐性を高めるなどは、現実離れもいいところだ。
つい先日、テレビでこんな様子を垣間見た。日傘を差して闊歩する男どもの姿だ。一瞬吹き出したのだが、話を追って聴くとどことなく至極ごもっともなのだ。日傘と云えば日焼けを嫌う女性専科のものだったが、酷暑とて男も差せとの風潮が漲(みなぎ)り、堂々と日傘を差す男性が出現している。表の柄に工夫を凝らし骨の数も少なめに作ってある。物事は流行り廃りだから、世間でよしとなれば日傘を差し回る男どもが増えても可笑しくはなかろうが、ステッキと傘が絵になるイギリスなら兎も角、大和男子の日傘姿はいまいちそぐわない。

深追いすれば、女性群のなかにはへら鮒師が被る径五十センチほどの傘ならぬ笠を被る姿もちらほら見える。さながら今様三度笠の風情で、やや奇妙な体裁だ。それでも左右の手が空いて挙動が自由に、安全も相当確保されるから、熱中症対策に加えて付加価値がある。
男の日傘も今様三度笠も、所詮は異常気象の申し子だが、その裏に商人たちの抜け目ない算盤が見える。バレンタインデーの便乗でホワイトデーが生まれたように、商人たちは生来目敏(めざと)い。商魂は逞しい。猛暑をも取り込んで、男に日傘を差させるぐらいはお手のものだ。ついでに明かせば、手持ちの扇風機が売れまくっている。どこかで学者がその害を訴えていたが、この玩具、何処吹く風と女子供に持て囃されいる。
それやこれやで、熱中症はいまや社会現象とも思しき症候群を呈している。これが浮世と云えばそれまでだが、2桁の人が連日死んでいるなどは半端ない話なのだから、ここはひとつ大真面目に対策を講じねばなるまい。五輪を1年後に迎えるとなれば、暑さ対策は待ったなしだ。なぜこのくそ暑い時に五輪か、とごねても手遅れだろう。流石は知恵者の国だと称えられるような、胸のすくような暑さ対策を組み上げたいものだが、どうなることやら。
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