令和元年7月11日、何の変哲もない「ある日」が途轍もない日になったという話をお聞きいただきたい。またか、と云われるのは疾うに承知だが、例の膝に纏(まつ)わるいざこざが、今日一挙にすっきりしたのである。膝の縛りが消えたのだ。この半年ほど神経を病んできた膝をめぐるストレス、とくに人工膝手術を決断してからの神経病みが、今日一挙に解消したのだ。
5月20日の手術からひと月半、God’s Handの杉本医師の、術後初の診断を受けた。悦んでくだされ、一切何の懸念もなく温泉よし水泳よしあぐらよし、椅子での脚組みに何の支障もなし、弾性ストッキングは今日限り破棄せよとのご託宣だ。ただし正座はならぬぞよとのきつい戒め。だが、正座なぞもう何十年もしたことがない。禁じられても痛くも痒くもないのだ。あぐらで充分、脚を組んでも構わないのだから云うことはない。要は、この日を境に私は膝の苦しみから解放されたのだ。
上下の骨が擦り合っていた膝をだまし騙し歩く難儀は、知るひとぞ知る苦行だ。杖を頼りに探り歩く日々が愉しかろう筈がない。堪え忍べと神が課した因業と諦めた日々が疎ましくも懐かしい。あえて毀傷(きしょう)せざるを徳として納得せんと努めた心が労(いたわ)しい。
この膝で行こう、何のこれしきと萎える心に鞭打って余命を過ごす決意を固めて何年か、あれこれと病む膝を抱え込む手立てを模索する最中(さなか)に不図(ふと)聞き知った人工関節手術の話が転機だった。人工膝を入れている卓球仲間の話を聞き、やおら自分もと乗り気になってなお躊躇する矢先、杉本医師の仕事をテレビで見て世界が一変した。あくまで自分の技術を確信し口調に一片の澱みのない同医師の姿勢に、これだ、と思った。君子豹変、将にコペルニクス的転回で人工関節膝を取り込むことを決めた。その辺りの消息は他稿に詳しいので省く。
今日7月11日、私は杉本医師に開口一番伝えた。
「先生、これは別世界です。まったく違う世界です。」
これに応えて杉本医師は、あれもこれも出来ると太鼓判を押してくれた。医師とは奇特な人種だ。ひとの命を左右することもあり、ひとの生き様を変えることもある。杉本医師は心臓外科を志しながら、QOLの向上を願う患者の多い人工関節手術の道を選ばれたという。高い技術に裏付けられた微動だにせぬ確信が患者の信頼を呼ぶ斯界の名医である。世に言う神の手、God’s handだ。
膝が蘇ったいま、当面の目標は卓球に復帰することだ。返す刀で高野山に詣で、日常は折りを見て最寄りの名刹を経巡り、段差を厭わず逍遙したい。それもこれも、萎えた筋肉の蘇生が鍵だ。いま進行中のリハビリから多くを学び、速やかに腰回り、脚回りの筋肉と腱を育てるのだ。余命16年、蘇った膝がその年月を支えてくれるはずだ。
診察の締めに杉本医師はこう言ってにんまりした。
「島村さん、O脚が治ってますよ。背広を着れば脚がすらっと、ね。」
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