上手く行くかどうか、わが庵のささやかな菜園をわがもの顔に徘徊するモグラを何とかしようと兼ねてから思案していたのだが、ひょんなことで風車がいいという知恵を聞き及んだ。耳が繊細なモグラは異音を嫌うという。風車が回るカラカラという音を毛嫌いして近寄らない、という話なのだが・・・。
わが庵は中山道の宿場町桶川で、ささやかでも畑を持てばモグラに野ねずみ、ハクビシンなどは仲間のようだ。落ち葉を発酵させた堆肥を敷きまくっているわが菜園にはミミズが群れる。それが何よりのモグラたちは勇んで立ち込む。土を盛り上げて動き回るモグラ跡はまるで静脈のようで、地下の作物を探り歩いて喰らう。若い球根が膨らみ始めた頃にいくつか喰われた。玉葱も喰らうのかと驚いたが、驚くだけでは益ない話しだから、さて何か上手い手立てはないものかと思案の果てに思い付いたのが風車だった。
材料はペットボトルの空き瓶だという。幸い水にうるさい私が折角フランスのミネラルリッチな水を箱買いしているではないか。材料はこれでいい。問題は体裁のいい風車をどう作るかだ。大型のペットボトルだから細工は自在だ。
早速、試作を始める。40センチ弱はある大型のペットボトルだ。縦に斜切りした4個を横に繫げる第1号は、全方向の風を受けて悠然と回ってくれるが、モグラの嫌うせかせかした音を出してくれない。首を繫げるメカニズムに苦労したほど実効がないようだ。が、取りあえずと第1号型は2機作って稼働している。
それから数本のボトルを無駄にして第2号の試作に入る。その間、JAで70円で求めたペットボトル風車の構造をヒントに、1本の大型ボトルを切り刻んで一機を作る創意が活きて第2号が出来上がる。針金の頭をL字にして8枚羽を留め具で取り付けるという簡便なものだ。作動実験の結果は上々、すでに3機を量産して稼働を待っている。
その間、モグラ話をあれこれ漁ってみた。なんと、モグラと風車の話しは結構知られているようで、いっときは効くそうだが、能無しながらモグラどもも学習とやらをするらしいのだ。つまり、風車の音に慣れてしまうと元の木阿弥だという。はたと考えた。風車作りは徒労に終わらせたくないものだ。そうだ、風車の回る音を千変万化に設(しつら)えれば連中を常時苛々させることができはしないか。こうなればわが風車の3号4号と改良を重ねていつかな「モグラ退治は風車に限る」という定説を唱えてみたいものだ。
しかし、考えようによってはモグラにもひと理屈あるように思える。ミミズが群れるような畑にしたのはどこのどなたかと聞くやも知れぬ。それに、モグラとて生きものならば、ものを喰らわねばならぬ。何個かの玉葱を盗られても生きもの同士の仁義はあろうと云うものだ。わが風車の音(ね)を聞き分けて、程ほどに振る舞ってくれればよかろう、とさえ思えるのは老境に至った故の斟酌か。
昨日今日の暖気で庭の桜はもう吹雪いている。ジャガイモの芽が六分ほど出揃い、今年こそはとふんだんに蒔いた豆類がちらほらと白い花をつけている。それにしても今年の玉葱は格段の出来だ。だからこその風車なのだが、さて、モグラどもはどう出るか、見物(みもの)である。
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