テニスの大坂なおみの人気が半端じゃない。日本人名の女性が世界ランキングのトップに上り詰めたのだから、テニスを知らぬものでも胸膨らむ思いで彼女の壮挙を称えた。当然のことだ。日本人の世界制覇は稀有なことだから、メディアもここぞと書き立てる。インタビューでは日本語の質問が集中、そこの処を日本語でとせがむ。当惑するなおみ君はあらぬ日本語を口走る。おおっ!大坂なおみが日本語で○○と言ったと報じる。なおみ節と名付けられて彼女の拙い日本語が巷間飛び交う。
実は私はヤフーの知恵袋へ英語で顔を出している。巷間英語に悩む人びとが寄せる相談事に機智を散らして応じるという、日頃書きものに忙しい私には格好な茶飲み話になっている。
その知恵袋である日、
「大坂なおみは日本語が話せるのに、ファンの日本語の質問に日本語で答えないのは失礼だ。」
という意味の質問、というか書き込みがあった。英語ではないが、たまたまその気になった私は、
「日本があれだけ不自由なんだから彼女の英語の受け答えは当然だ。そのうち徐々に日本語も喋るようになるだろうから、温かく見守ってやろうじゃないか。」
と、ごく常識的なコメントを差し込んだのだ。ところが、このコメントがひと騒動起こしたのである。
書き込みの主はさらに
「実は彼女はよく日本語が分かっているのに、日本語を避けて英語で喋った。ファン軽視が許せない!」
という剣幕だ。私が事実を知らぬくせに弁護するのは腹立たしい、とまで反駁してきた。かのキ印くん、ほかのコメントが私の言い分に沿ったものだったことから、上げた拳の下げように困って引き下がったが、この経緯が知恵袋上に広がってミニ論争に発展した。
言い出しっぺとして私はその諍(いさか)いの行方を追った。折角の壮挙だから何としても日本名の日本人女性であって欲しいという側と、出身は日本で名前も日本名だが、日本人離れした180センチのハイチ系アメリカ人女性がアメリカ仕込みのテニスを披露して世界を制覇したのだという現実派がすれ違って、何とも奇体な「口論」だ。
男子は錦織、女子は伊達と遂にランキング4位どまりだった頂点への道の険しさは先刻承知なだけに、グランドスラムを2本立て続けに制して1位に駆け上った大坂なおみを眩しく仰ぐ日本人の思いは無理もない。日本人名をじっと見詰めて、
「遂に日本人が・・・」
と感無量。お前はどうだと聞かれれば、私とてもブラヴォーのひと声は叫びもしよう。が、彼女の快挙に日本のテニス界がどれほど資しているか、ここに至るまでの彼女の足跡をどれほどの人が見詰めてきたかを思えば、思い半ばに過ぎるものがある。少なくとも、インタビューは日本語で答えろなどの暴言は思いも付かない。
知恵袋の件はさておき、大坂なおみへの関心はさらに深まり広がるだろう。カタールから先、大きなタイトルへの彼女の挑戦は続く。私が見るところ彼女の日本語はごく初歩で、試合後の分析など繊細なコメントが英語になるのは当然だ。多少の日本語を散らす程度の知恵はあってもよかろうとは思うが、云いたいことがこれからも英語になるのは一向に構わない。だが、そこを日本語でという手合いは、これからも彼女に纏わり付くだろう。それを賢くいなす知恵を彼女が学べるかどうか、そんな取り巻きを嫌って依怙地に日本語を避けるようなことになるか、なおみはどっちを向くのか、私にはその辺りが滅法気になるのだ。
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