「べにばなふるさと館」は庵から歩いて十分足らずの処にある。里の旧家をほとんどそのまま残して、庭や部屋の造作を手直しした粋な建物で、食事処や集会所、それに地元の農産物を即売するコーナーなどもあっていつも賑わっている。
館ではあれやこれやの催しが組まれていて、ふるさと祭りや陶器市などには結構な数の人が群れる。そのひとつに歌声喫茶というのがあって、同姓(山偏だが)の先生が歌いながらピアノ伴奏をしてくれる。これが冬日かという柔らかい日和、久し振りに行こうじゃないかと愚妻が誘う。歌うのは嫌いじゃないが、云っては悪いが爺婆の慰みに混じるのはやや本意ではない。それでも抒情歌を中心に思い出歌も悪くなかろう、と出向いたのである。
開始時間を間違えて、着いて見れば会場の二階には未だ四、五人。どうなることかと入場券を見れば、なんと開演は三十分先のことだ。どうなることかは杞憂だった。プログラムを一瞥、「一月一日」を皮切りに二十二曲が並ぶ。どうやら季節を読んで冬の歌が多い。流石と云おうか当たり前と云おうか、知らない曲は一つもない。「新雪」で締める小粋な抒情コレクションだ。
一曲目の初っぱなで先生、最初のコードを弾くや「このピアノ、いつ調律したの!?」と悲鳴。たしかに酷い。五度が揺れ三度が甘い不気味な不協和音だ。ふるさと館の予算が調律まで賄えなかったのか、係りの不手際か。初春からとんだお粗末だ。哀れ田舎の文化はかくもありなん、の実感。
それでも歌い始めれば「不協和音」など何のその、年期の入った歌自慢たちの歌声は館に響く。見回せば六七十歳のご高齢、それもほぼ女性である。若めはひとり二人、男性は私も入れて三人だ。と云うことは、出て来る曲はすべて女性に合わせた調子で、美智也を原調で歌うのを売りにしている私には、どれもこれもキーが二三度低い。これには参った。低音がすべて唸りになって楽音にならぬ。
たまたま「古城」があったから、あわよくば一丁歌い込もうとしたが、これも例の如く低すぎて、♪古城よ独り♪が唸りになった。堪らず曲後にひと言、「原調でなく心残り・・・」。すれば嶋村先生、「あら、これは原調の筈ですが・・・」と。いや二音は高いはずと云う私とのしばしの原調ばなしは、歌声では女性に合わせて「調整」するという、時ならぬ語呂合わせでちょん。
そうなのだ。何もふるさと館の「歌声」に限らず、斉唱の場で私は調子の高低に悩ませられる。しっかり張ればいい旋律なのに、調子の低さで大半唸りに終始する時が私には何とも辛いのだ。それでも時には、割りと具合のいい調で歌える場もある。いつだったか、締めに「海ゆかば」を斉唱する機会があった折はほぼ気持のいい調で伴奏が入り、この愛唱の調べをここを先途と謳い上げた。まあ、田舎の歌声喫茶では望めぬことかと、古城の件は程良く矛を収めたのである。
私の歌好きには健康上の理由がある。さほどではないが私には親父譲りの喘息っ気がある。喉回りに幽かな不安があり、声帯は日頃の懇切な労りが必要だ。だからうがいも欠かさず龍角散は常備薬である。弁の調子がほぼ日毎に変わり、高音域はGが出るかどうかで体調まで計れる。だから、歌を歌うことは私には大小の排泄行為に等しく肝心要なのである。美智也は言うに及ばず、パヴァロッティを気取って彼の原調でソレントをやらかしもする。所詮は蟷螂の斧ではあるのだが、老化の真っ直中にいてせめてもの意地っ張りである。
昨日の「歌声」は、私には久し振りの喉の無礼講ではあった。帰り際、「男柳は原詩では男やもめで、八十さんは軍部に迫られて柳で妥協したのですよ。」と云えば、先生おやと目を見張った。
遅れて館の外へ出れば、もう人っ子ひとりいない庭一杯に午後の陽射しが溢れていた。どうやら今年は暖冬のようだ。
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