なにを隠そう私は老壮の猪、年男として迎春の祝詞を申し上げるのは、何ともはや嬉しい限り、読者諸兄姉の幸豊かなれと心からお祈り申し上げる。
ひょっとすると年男とはMan of Luckという意味かと思わせる出来事が、年明け早々私の身の上に起こった。「こいつぁ春から」の縁起に、いま胸膨らむ思いだ。神経を磨り減らした癌騒ぎが兎も角も「終わりよければ」の決着で収まる傍ら、その折り茶化した膝栗毛の旅の裏側で膝痛を抱えていた。数年来の気に障る痛みで両膝とも階段の上り下りが鬼門だったのだ。その年来の膝痛がこの5月には解消する見通しがついたのだから、これを年男の役得と云わず何と云おうか。何と、起伏を気にせず歩ける習慣を取り戻せるのだ。
とまれ、ここに至る私の膝話しをお聞き頂けまいか。
切っ掛けはまったく記憶にない。階段が厭になった頃があったのは確かだが、膝のせいか太り気味のせいか定かではない。Gに逆らうのが億劫になった辺りに遠因があるのは間違いない。ある時、私はポアロの杖が粋だとて結構な杖を取り寄せた。銀の握りの立派な杖だ。深層心理に膝を庇う気持があったのだろうと愚妻は云うのだが、そうかも知れない。
さて、そのポアロの杖と膝痛の相関性がもしあったとしたら、つまり潜在的な膝痛があったからこそのポアロの杖だとすれば、何をか況んやである。この膝痛は己の不摂生と気障のなせる業ということになる。傍らで愚妻は異論を唱え、これは私のO脚のせいだと云う。膝の内側だけで軟骨が摩耗しているのがその証拠だ、と。
兎にも角にも、私の膝は両方とも数年の間に内側の上下の骨が直接当たるまでに劣化したのである。ポアロの粋どころではない、日々の歩行に杖は欠かせないツールになった。杖があれば平面歩行に難はないが、段差や階段では片方の膝だけでは体重を支え切れない。平面だけでも歩け歩けと愚妻は嗾(けしか)けるが、地面必ずしも常に平面ではない、咄嗟の凹凸になんども転倒した身には、安易な散歩は「魔の歩み」だ。ならば、と近在のショッピングモールの屋内散策を企てて3〜4千歩のウオーキングに及ぶが蟷螂の斧、膝の痛みは例の前立腺癌騒ぎの最中にも絶えることはなかった。
その間、私は人工膝の可能性を考えないではなかった。2年ほど前に思い立って、かつての卓球仲間で人工膝を入れた女性を訪ねて相談したことがある。彼女は両膝を全取っ替えして、曲がりなりにも卓球を続けていた。彼女は是非おやりなさいと云う。やおらその気になって主治医に相談すれば、首こそ振らぬが勧めぬ気配、私は突如迷って人工膝問題は心理的に棚晒しになった。それが後日あるTV番組を切っ掛けに再燃する。
あるNHKのTV番組で私はT大学の膝専門医の話しを聞いた。人工関節技術が年を追って進んでおりQOLを高めることの意義を強く語る先生の熱気に惚れて、日をおかず同大学を訪れその医師に会った。話しの流れで医師は、
「切るのはいつでも切れるから切る前にできることをしましょう。」
と、歩き方の工夫を提案された。中敷きを工夫して膝への負担を軽くする靴を注文して帰った。親指で歩く工夫やらも加えて、1年を歩き方で膝痛の緩和に努めたが不毛に終わった。
捕らぬ皮とは云え応分の余年を生き抜くのに膝が堰になっている、五臓六腑万全の身がただ膝痛に損なわれる不条理は受け容れ難い。鬱々とする思いが日を追って収斂する。そこに来て、ある電話が掛かってきて世界ががらっと変わったのである。
なにやら、2年前に取ったある予約が年明け2月で、それをひと月早めて1月早々にという案内の電話だと云う。どうやら愚妻が別な膝の専門医との予約を取ってあったらしいのだ。聞けば、T大学の件と前後して別な人工膝関節治療のTV番組が放送されて、そこに出演していた某専門医の話しに感銘を受けたからだと云う。2年後だと云われて怯んだが、虫の知らせか、申し込みはして置いたのだと愚妻は述懐する。突然の電話は同医師の都合で予約をひと月早めさせてくれと云うことだった。これが私の年男の冥利に繋がったのだから、塞翁が馬が嘶(いなな)いたとしか思えない。
世にドミノ効果と云うものがあるが、それがわが身の回りに起こってみると、なかなか乙なものである。愚妻が虫の知らせで取った2年越しの予約が最初の駒で、これを突いたことが次々に駒を押し、遂に天下一の膝関節治療の名医による施術という最後の駒を見事に倒したのだ。その間の右往左往は今にして思えばすべて必然、一瀉千里の問題解決があのひと駒から始まった。
この病院はXX会人工関節センター、天下一の名医とは杉本XX医師のことだ。私は名医という類を久し振りに見た。語り口は自信に溢れ、初対面の私の背負う難儀の細々を理路整然と言い当てて対策の説明に淀みなく、血液さらさらへの斟酌も要らぬ施術を保証してくれた。ほぼ一日掛けて行った検査やデータ取りは呆れるほど万全かつ周到、私の両の膝は前後左右からのレントゲンとMRIの砲火を浴びて赤裸々に暴(あば)かれた。そのすべての情報が名医の施術に生きると思えば、諄(くど)いまでの検査の煩も厭(いと)う気はさらさらなかった。
初夏の5月半ば、私の両膝は半分が人工関節に生まれ変わる。そして、幽かながら私の若さが間違いなく蘇り、気持の強気を即行動に表せる愉快を存分に味わえる日が来る筈だ。
やよ病める膝よ、永久(とわ)にさらばじゃ。
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