日本ではいま、頑是(がんぜ)無い少年たちが歴史を紡いでおる。傘寿を越えたわしの世代なら「少年倶楽部」入りをしたばかりの子供たちが大人の世界を脅かす動きを見せておるのじゃ。如何にも心強く何とも空恐ろしくもある現象じゃ。子供らが強くなったのか、それとも大人どもがひ弱くなったのか、さて。
その一:卓球
わしは中学時代はクラブ活動が卓球じゃった。荻村たちの活躍に幼い尻を押されてラケットを握り、ど田舎ではあるがめちゃくちゃに負けた記憶がない程度に卓球が得意じゃった。左右に角度のある球を返す素早さが売りで小才が効いていたから、なにを隠そう、近在の中学校との交流試合では煙たらがれた存在だった。フォアハンド主戦の、というか、それ以外は禁じ手とされた時代で、突っつく以外はフォアで回り込むのが美しいとされておった。駆けっこは苦手でも、回り込むぐらいの脚力は充分じゃから、わしは回り込んでサイドを切る球が決め球じゃった。
そしてあの日、卓球ががらっと変わった。華麗な荻村のフォア主戦の動きが、その回り込む間(はざま)を突く荘則東の前陣速攻に腰を砕かれて敗れた。1961年世界卓球選手権、処も北京だった。あの日を境に日本卓球は勢いを失い、河野、小野、伊藤そして長谷川辺りを最後に深みに沈んだのだのじゃ。
そして幾星霜、歓ばれよ、いま日本卓球がふたたび蘇生しておる。その原動力がなんと児童たちの細腕だということに、わしは歓ぶ以前に信じ難い思いじゃ。その児童軍団を率いる張本智和は15才、両ハンドの前陣速攻で飛燕のバックハンドはいま世界一とか。健気にも再来年の東京オリンピック制覇を広言しておる。この神童の卓球をつぶさに追いながら、わしはこの童の並外れた技に息を呑んだ。ランキング1位の燓振東を手玉に取った試合などを見れば、これは広言どころか宣言ですらあるようじゃ。
その張本が神童なら、11才の松島輝空(そら)は何と呼んだらよかろうか。ティーンを抜けたばかりの松島は、まだ卓球台から臍が隠れる小坊主じゃ。その年代の全日本選手権を5年連続で制覇、いっぱしの某外国人選手と渡り合って惜敗した試合などでは、松島のそれはすでに児童の卓球では毛ほどもない。いや、魂消(たまげ)たものじゃ。突然変異かとも言われる松島については、張本二世とか、いずれはそれ以上とか、様々な噂が飛び交っておるが、この子の行き先は測り知れぬ。
これを書いておる最中にすこぶる付きの朗報が飛び込んできた。これは児童にはややひねてはいるが、18才の伊藤美誠が丁寧、劉詩文それに世界ランキング1位の朱雨玲を総なめしたのじゃ。11月6日、北欧のスウエーデンオープンでの出来事じゃ。試合を具(つぶさ)に見れば、これは椿事とはほど遠い必然で、決勝戦の伊藤はこの世界チャンピオンをそれこそ童の如くあしらっている。全く質の違う別次元の卓球で朱を手玉に取った。古の荻村にたいする荘のイメージをわしは伊藤の振る舞いに見た。男女の差はあれ、伊藤は卓球日本の素性を体現してくれた。歓ばしい限りじゃ。
その二:将棋
がらっと変わって将棋の話。わしは囲碁は嗜むが将棋は縁台レベルで、西洋将棋のチェスほどには身が入らん。じゃが、このところ一人の子供将棋指しの足跡を追っておるうちに、将棋への興味が募(つの)っておる。この子供将棋指し、名を藤井総太という、まだ16才ながら何と七段、中部地区の希望の星とか、いますべての昇段記録を塗り替えつつあり大棋戦制覇も時間の問題じゃという。
さて、将棋といえばわしには木村、塚田、升田、大山辺りの人間臭い話が浮かぶ。坂田三吉にまつわる話なども、映画や流行り唄絡みで思い出される。わしには将棋は器械とはほど遠い、囲碁と同じく人間たちの生身の諍いの舞台でしかなかった。そんな大人の世界に、人間味など未だ解せぬはずのある童が入り込み、天地も動かす働きをしているのだから、これは巷の雀たちが騒がぬはずがなかろう。
その藤井がどうやら器械の洗礼を受けた将棋を指すという、そういえば伊藤美誠のミマパンチにも器械の響きがあるが・・・。そう、藤井という童はコンピューターに通じておるそうな。いまや人智を超えなんとするAIを相手に技を磨き、それを年長の将棋指しに仕掛けては軒並み首を挙げておるらしい。
器械にせよ生身にせよ、しがない児童に大人どもが右往左往するのは見られた図ではないのじゃ。
その三:オセロ
これもまた驚天動地の事件じゃ。なんと11才の純綿の児童が、大の大人たちを相手に世界を制したという話じゃ。この童、小学5年生の福地啓介はチェコのプラハでのオセロ世界選手権大会に日本代表として出場、見事チャンピオンになった。
オセロというゲームをわしはまともにやったこがない。じゃによって、その世界選手権者がどれほどのものか判別の仕様もないのじゃが、取り敢えずは世界選手権を争うほどのものであり、大の大人に混じって11才が世界の頂きに輝いたのは事件に違いない。
福地君の快挙には面白い逸話があるのじゃ。プラハからの帰国途次、乗ったJALの機長が思いがけぬ機内放送をしたそうな。
「本機はオセロの世界選手権者にお乗りいただく栄誉に浴しております・・・。」
機内は時ならぬ知らせに湧いたそうな。紹介された福地君もさぞ嬉しかったじゃろうが、これにはさらに逸話が続くのじゃ。
着陸後、同機長は福地君とツーショットを撮った。その折に曰く、
「私は36年前の最年少オセロ世界選手権者でした。」
さらに福地君には
「私のタイトルを奪ったからといって気が咎めることはありませんよ。」
と、慰めとも祝いの言葉ともつかぬ挨拶をしたとか。
さて、どれもこれもわが童たちの台頭を窺(うかが)わせる話で、わしは満足の極みじゃ。若い命がすくすくと育つ社会ほど清々しいものはないのじゃ。童たちとて何の臆するところやあらん、われこそはの気概で大人を乗り越えて欲しい。それでこそ老いたものには格好は供物なのじゃから。
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