英語が苦手という日本人がこの言葉に向き合うとき、言い知れぬ緊張感が走るのはどういうわけか。その昔、江戸湾に居座った黒船の姿にぎょっとした江戸っ子のように、英語というと畏(かしこ)まって身構える。おい、それは考え過ぎだろうと抗(あがら)う気持ちは分かるが、現実を突き放して考えて欲しい。学校であれほど「勉強」したはずなのに、ろくに英語でものごとを言えないし書けもしない。なぜだろうか。
学校であれほど勉強したのに、と思う気持ちは私とて同じこと、それどころか、シッカリ勉強したはずの英語がさほど役に立たなかった現実を私は人一倍知っている。傘寿を越えた今になって、はじめてその「なぜ」が分かるようになった…。まあ、能書きはほどほどに、ずばり、その「なぜ」を解きほぐしてみよう。
結論を先に言おう。「なぜ」の理由は二つある。その一つは英語の《構文》、つまり日本語とは違う文章の姿かたちを呑み込まなかったこと、もう一つは英語の読み書きを《頭ごなし》にしなかったことだ。
およそ学校では、《構文》は文法で紹介する程度、読み書きは《頭ごなし》どころかつま先からとさえ教わった。《構文》の理解と《頭ごなし》の読み書きを最初から行っていれば、ということは、学校でそのように教わっていさえすれば、あなたの英語は上達していたはずなのだ。
いまからでも遅くはない。この二つの作業、というより習慣を身につけようではないか。
まず《構文》だ。とりあえず英文法の細かいことは脇において、S+VからS+V+O+OC までの五文型を熟知する。熟知ですぞ!然るべき例文を選んで徹底的に覚え込む。その前提に、どの文型もS+Vで始まるという単純かつ冷徹な事実を、これも熟知すること。動詞が最後に来るような日本語とは骨組みが違うことを認識する。その上で、《英語の文章は五つの形しかない》という、これも単純かつ冷徹な事実を熟知する。
次に《頭ごなし》のこと。学校で習った英文解釈の仕方は、先行詞を後ろから形容詞節が飾る云々など《逆転の発想》に冒されていたのを思い出してほしい。そうではなくて、英語を読むとき、耳から聞くときに《頭ごなしに取り込む》こと、曲がりなりにも《逆戻りをせぬ》こと、この単純かつ冷徹な心構えを徹底して崩さぬことだ。目に映るまま耳に聞こえるままに、言葉の群れを煉瓦を積む上げるように取り込んでいく。一朝一夕とはいかないが、これであなたの英語は見る間に上達する。
文型が五つしかない安心感と頭ごなしに読み書きする習慣とで、あなたの英語は遠からず生まれ変わるはずだ。まずは薄めのペーパーバックで原書に挑戦してみてはいかがだろうか?
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