私ごとながら前立腺癌の治療を終えて三ヶ月、先日がんセンターに出向き術後初めての検診を受け、すこぶる付きの快癒宣言を貰うて快哉。これ以上の愉快はなく、愚妻をはじめ心配を掛けた方々に深々と感謝申し上げる。感謝ついでに、その間さまざまの鬱蒼を和らげて神経の病みを抑えてくれた’あること’にも、この際じゃ、別して沁々(しみじみ)お礼をさせて頂こうか。
あることとは何と無礼な言い草、ほかでもないわが愛する国民作家、吉川英治じゃ。治療中から術後の三ヶ月、絶え間なく私はこの人の作品に救われたのじゃ。曰く「私本太平記」と「新・平家物語」。この稿は、前立腺癌の放射線治療というわしに取っては世紀の(やや大袈裟じゃろうか・・・)大事件の、一刻一刻を凌ぎ切った経緯に触れさせて戴きたいのじゃ。
思わぬ癌騒ぎに不甲斐なくも狼狽(うろた)えたわしは、気を逸らす術を読書に求めてあれこれと迷った挙げ句の果て、思い付いたが吉川英治じゃった。この作家を見知らぬ世代には縁遠いかも知れないが、わしはこの作家に「神州天馬峡」で馴染み「鳴門秘帖」でのめり込み「宮本武蔵」で虜になった、幼い頃から贔屓の国民作家じゃ。思えば、彼が先の大戦に敗れた日本に重ねて連載を始めた「新・平家物語」を、字を追う苦衷から半ばで読みさしたまま幾星霜、降って湧いた胡散臭い癌治療を久し振りの吉川節で乗り切らん、と思い立ったのじゃ。
「私本太平記」と読みさしの「新・平家物語」。38回連日の放射線治療の憂さを凌ぐため、わしは敢えて長編二作を選んだ。そして、術中術後一貫して、この作家の描く平安から鎌倉に至る歴史曼荼羅に浸って過ごした。不気味な放射線治療器の下に組み敷かれたまま、初めて読む「私本」で、わしは大楠公の引き立て役、足利尊氏を時代を先駆けた大器と捉えて描き切った、この作家の只ならぬ筆勢に酔いしれ、術後三ヶ月を経た今、読みさしの「新平家」で、ご存知偏執な頼朝がわれらが判官義経をいびり追捕するさまに切歯扼腕(せっしゃくわん)、いま将に判官奥羽へ落ちる前夜の下りに差し掛かり、癌治療とは何のことじゃと言わんばかりの夢中じゃった。
もの書きの真似事をする身にして、この作家の奈辺(なへん)に惹かれるのじゃろうか。もの書きには誰でも筆勢がある。吉川英治のそれは自由闊達、思うままに改行、随所に句読点を打ち散らす豪快な書きっ振りが素晴らしい。溢れる漢語が残す躓(つまず)き感が得も言われぬ魅力じゃ。わしも程々にものを書きながら、折々に吉川英治の筆遣いに絶句する。彼の古文書への只ならぬ造詣の深さに嘆息しながらも、わしはこの作家の独りよがりの筆遣いが何とも愛しい。右手左手(めてゆんで)の巧まざる文字捌きは、昨今の作家たちの遠く及ばぬ手練じゃ。
八月十日、「新・平家物語」を読み終える。五月十二日に放射線を済ませたばかりの気落ちを癒そうと巻を開いて三ヶ月、地下人清盛の成り上がりから倶利伽羅(くりから)を経て義仲に躓き、義経の手で水漬くまでの平氏の栄華二十年余の儚さ、やがて義経が衣川で失せ、哀れ範頼も謂われなき咎で誅され、遂に頼朝の不審極まる死で源家が倒れるまでの虚実交々の源平絵巻は、気落ちを癒して余りある読書の醍醐味じゃった。
吉川英治。私は「宮本武蔵」以来この作家をまともに読んだことがなかった。このたび放射線治療の気散じに初めて、それも長編二本を立て続けに読む稀有な経験をさせてもらった。癌さまさまじゃ。独特の語り口に酔いながら、やや吉川疲れもしておる。ここ暫くは暇(いとま)をさせてもらおうか。
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