麻原彰晃が遂に打ち首になりましたな。その昔なら三条河原に晒される図じゃ。子分たちも数人が付き従うようで、それがまあ本人には黄泉路(よみじ)への慰みじゃろう。このものの悪行は今更語るまでもなかろうほど諸賢ご存知のはず、わしは重ねて言挙げする必要も、またその気もさらさらない。ただ、引かれ者の小唄とはよく言うたものじゃ、獄に繋がれた後もあれこれと世間を騒がしたあの愚物の為体(ていたらく)には、呆れるやら感じ入るやら、とまれ稀代の極悪人、かく打ち首となってまずはご同慶の至りに堪えない。
じゃが、ここに釈然とせぬ状況がなお生き長らえておる。何やら名を変えてこのものの『教義』の首がいまだ胴に繋がっているらしい。が、それが何であれ、どのように蘇生しているかなどなど、巷の話しをあれこれつまみ食いして語るのはわしの目論見じゃない。
首魁が骨になったいま、誰に下げ渡すかなどの珍な噂を小耳にしながら、いまわしは奇異に思うことが二つ脳裏を経巡って、骨の行方どころではないのじゃ。いかかじゃろう、その奇異な話を巡る世迷い言をお聞き戴けまいか。
それはこういうことじゃ。
まず、そもそもこの麻原なる愚物の言い草に、それが何であれ、程々の学を修めたものが、それも並々ならぬ数の利口者が何ゆえ『帰依』したのかということ、これがひとつ。さらに、あれほど悪辣な反社会的な犯罪を犯した極悪人の首を打つのになぜ二十年もの時が掛かったのか、何百人も毒殺するのに瞬時、その犯人の首を打つのに二十年というのは法外だというごく素朴な疑問、これがもうひとつじゃ。
さて、わしは平衡感覚だけを頼りに馬齢を重ねていま八十三才と百三十余日、自賛ながらいまやものごとの本質は至極よく見えておる。饒舌を排して粋を求める、饅頭なら皮よりは餡じゃ。この話も余計な言葉は吐かず筋をのみ拾い出して見たいと思うのじゃ。
さて、学問を究めた言わば利口者が何ゆえに愚物の嘔吐物に酔うのかということじゃが、これは明らかに常軌の沙汰ではない。正気がなせる業ではない。先ずは此処のところを抑えて欲しいのじゃ。何処とは言わぬが、人も羨む国立大学の狭き門を潜り幸い然るべき分野に頭角を顕わさんとする矢先、ひょんなことに食指が動いて喰らった一食を愚物の嘔吐物と判らずに愉しんだ・・・。この利口者、味蕾の不具合か中枢の欠陥か、以後それを常食して飽くことを知らず、常軌の沙汰を遠く離れた世界におびき寄せられたという、これがことの顛末じゃ。
話を整理すれば、この嘔吐物を美食として喰らい続けたものがこの利口者一人だったなら、百歩譲ってありうるかも知れぬ。異常な味蕾の持ち主で下手物食いの極致とでも考えれば、なしとは断定出来かねる。ただ、これが二人、三人となりさらに何百人にまでなれば、これは俄に別な話になる。さらにその大人数が利口者だとなると、判断のクライテリアが逆転するというものじゃ
ひょっとするとその嘔吐物、本当は美味だったのではないか?それを吐いた愚物は黒を白と思わせる並々ならぬ知恵者ではないか?実はそれがオームのたどった軌跡なのじゃが、それは措くとして、さてこれはどっちがどっちか・・・。
わしはこう思うのじゃ。
オームの座標で見れば、何百人が進んで喰らったこの嘔吐物は確かに『美味』だったに違いない。この嘔吐物、料理の仕方から味付け、盛り付けから勧め方まで、見事に極まった逸品だったに違いない。だが、その座標外では胸くそ悪い嘔吐物なのは明白なのだから、話しは一点に絞られる。料理人が客が共通に持っている『味覚の死角』を巧みに衝いて嘔吐物を美味と誤認させた、それも利口者に限ってより強く持っている死角を見事に衝いた、とわしはそう思うのじゃ。
持って回った言い草は御免蒙るとのお叱りが聞こえるようじゃ。ならば、これをこのようにパラフレーズしたら如何じゃろうか。
学問を深めるほど専門の知識が取り込まれ、専門外の知恵知識は百分率的に減少するものじゃ。トドのつまりは専門馬鹿、とくに理学系ではその傾向が顕著じゃ。オームの場合、利口者はすべて理系じゃ。科学と宗教のテーマは永久のリドルだが、理系を極めたものの精神生活は極言すれば虚の状態、ずばり専門馬鹿じゃ。虚を衝かれれば、極限、嘔吐物も美食にも感じるじゃろう。
専門馬鹿の心には虚が巣くっておる。麻原なる愚物はひと群れの専門馬鹿の『虚心』に立ち入って科学性皆無の『奇蹟』と言う名の種子を蒔いた。合理とは対極の奇蹟に利口者たちは未だ見ぬ活性を見た。専門馬鹿の真骨頂、何と利口者たちはその非科学性に惹かれ切った。虚心が故の哀れじゃ。虚を衝かれ、味覚を奪われて嘔吐物をそれと味わい分ける能力をなくしたのじゃ。
鳥瞰すれば、これは現代の教育がデータ偏重に過ぎ、学究心のベクトルが余りに唯物側に突出し、唯心、即「心」の世界への斟酌が希薄しておる現実があると思うが如何じゃ。専門化の悪弊がそれに輪を掛けて、ものごとすべて計算高く、瞑目して念じる風はさらになし。麻原の一件はその風潮の露呈に過ぎぬと達観すべきか。
さてもう一点、麻原の首が何故二十年も打てなかったのかと言う話。わしの思いは至極簡にして明じゃ。盗人にも三分の理というじゃろう。悪行にもそれなりの理由ありとも、筋の通らぬものごとも理屈はつくものじゃとも。鼠小僧が貧乏人に金を撒いたなどの話しがつくのじゃが、こと麻原の一件はいずれにも当て嵌まらぬ。三分の理など以ての外じゃ。目には目をの理で即日打ち首が当然じゃった。それが何故の二十年か?
三分の理は昔の話と言う勿(なか)れ、現代はこれが人権擁護と名を変えて跋扈しておる。これが刑民法の枠を越えて理不尽に増殖しておる。人権擁護は麗しい思想じゃ。四つ足や虫も絡めて生きもののすべての命を尊ぶわしは、人の権利を謳うに人後に落ちぬ。じゃが、こと悪行となれば一分の理も認めぬ。人権も極悪人には認めぬ。況んや、麻原如き愚物には寸刻の容赦もすべきではなかった。利口者を誑(たぶらか)す手妻(てづま=手品)を操る罪を重ねて即日打ち首が至当じゃった。これを人権擁護の虚構に組み込んでこの愚物の命を長らえ、あわよくば自然死を全うさせようと企んだ弁護士らをわしは人とは思わぬ。巷に蔓延る似非人権擁護の徒を糾弾したい。先ずは、一件落着を祝って筆を収めたい。
締めのひと言、冒頭の遺骨を巡る噂の裏に垣間見える不穏な動き、麻原の影のざわめきが気にはなるが、そこは民度の高いわが同胞のことじゃ。麻原をよもや忘れはすまい。歪んだ人権擁護意識を織り直して、賢く捌いて行こうではござらぬか。
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