さる西国の某寺に椿事が出来(しゅったい)、いよいよ世も末かの気配が漂っておる。わしには『平成の末法』の兆しにも見え、遂に仏法地に墜ちたりの感が深い。なんでも真宗の末寺で心ならずも世襲した住職の生業に飽きたらず、こともあろうに猿踊りを教えることに生体感を覚えて『踊る坊主』と化したという話、如何思し召されるか。
そもそも真宗は親鸞聖人の教えを伝える寺で、東西本願寺ほか阿弥陀の救いに縋(すが)る庶民的な流派じゃ。わしも人並みに歎異抄の洗礼もうけ、キリスト教との親和性なども味わい、正信偈(しょうしんげ)の白骨のくだりに胸迫る思いを経験しておる。いまは聖観音に惹かれ、夜毎普門品第二十五の而為説法に浸っておる身には、さしも度量では人後に落ちぬとはいえ、坊主が踊り出すに至ってはひと言あるべしと思うのじゃ。
この坊主、名も素性も割れてはいるのじゃが、そこは武士なら情け、それと特定せずに話しを進めさせていただこうか。親を継いでの住職だが、そもそも抹香臭さを嫌ってのこと、坊主丸儲けの魅力だけは享受しながらこの坊主、やりたいことができぬものかと『熟慮』の末に好きな踊り(ストリートダンス)を寺の作務に取り込む手立てを編み出したのじゃ。流石に己が踊ってどうなるかほどの神経はあったような。読経の合間に近在の子供たちを駆り出して教えることに。悪いことに(この坊主には好都合にも)教え子がどこやらの踊りコンテストで人に知られる成績を収めたそうな。これが病みつきになってこの坊主、本職はさておき踊る坊主の本領を発揮、踊りの教室を広げ生徒を増やしておるということじゃ。
さて、わしの神経にはこの坊主の生き方そのものがぴりぴり触るのじゃ。故高田好胤師を持ち出すまでもなく、坊主の生き甲斐は説教にあり。堂に老若男女を集めて語るもよし、旅先で人の集いに混じって語り合うもよし、まずは人びとの心に立ち込んで悩みを聞き共有し、あわよくば迷いを解く道標(みちしるべ)にもなるべき身が、なにを血迷ったか踊る坊主に堕したか、わしの埒を越える為体(ていたらく)じゃ。
曲がりなりにも他人様(ひとさま)に説教しようにはそれ相当の教養がなくてはならぬ。書を読み碩学の語りを聞き、洋の東西に知恵を求めて学識を研ぎ澄ましてこそ、人びとは集って耳を傾けるものじゃ。
この椿事をテレビで知り、流れる映像のいくつかを見ながら、わしはある場面に唖然として釘付けになった。踊る坊主の舞台を眺める数人のお婆(ばば)たちの筆に尽くせぬ、心ここにあらずの表情じゃ。つもりもなく手を叩きながら、所在なさそうなお婆たちの風情にわしはもらい泣きをした。
この坊主は、何かの為に何かを捨てておる。それがなにかはご推察に任せるとして、これは罪作り、体の好い犯罪じゃ。坊主丸儲けの利得はちゃっかりと享受しながら、要の形而上のさることを等閑視しておる。等閑視どころが、われ関せずえんと無頓着じゃ。坊主どの、疾く疾く寺を去り給え。
思えばこの椿事、仏事をめぐる社会的な批判が渦巻くなか、どうやら末法の兆しにもみえるのじゃ。世界史を鳥瞰すれば、中東を巡る何世紀にも亘る紛争がキリスト教vsイスラム教の相克に根ざしておるのは自明じゃ。それに照らして仏法の教えこそが魂の拠り所かと思うわしには、仮にもせよ、踊る坊主の振る舞いが仏法を貶(おとしめ)るは無念極まりないのじゃ。
冒頭にああは書いたが、わしはじつは仏法にはなお活性があると思うし信じてもおる。願わくば、傘寿を越えたいま、そう信じるままの日々を送りたいものじゃ。
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