ゴールデン何とやら、折から花よし陽気よしで巷は浮かれ切っておる。五月の端(はな)から七月の暑気に愕(おどろ)く処もあるとか。どうやら異常気象は本物のようじゃ。
皐月、所謂(いわゆる)さつきとは早苗月からの傾(なだ)れで水を張った水田が稲苗を待つ風情が季節の華じゃ。日本の自然が綾なす巧まぬ美は数知れず、日本人はそこに蜘蛛さながらに慎(つつ)ましく糸を張り込んで生きてきた。自然に溶け込む生きざまこそが日本人の本意じゃ。
皐月と言えば端午の節句、女児の桃の節句の対に男児の幸多かれと祈る、いずれも自然の息吹を巧まず吸っての仕来りじゃ。将に育たんとする稲の早苗を男児に準(なぞら)え、滝をも馳せ登る鯉の果敢を我が子に重ねて鯉のぼりを旗竿に掲げる。風を孕(はら)み父母の真鯉緋鯉に負けじと中空に舞う小鯉の姿はかつて皐幟(さつきのぼり)、五月の空の華じゃった。
じゃったとは、竿先に矢車、吹き流しに親子鯉の鯉のぼりは何時の頃からか日本の空からほぼ消えてしまったからじゃ。消滅したとは思わんが、わしの視界に入る鯉はすべて緯糸(よこいと)に繋がれて、哀れ、日干しになっておる。
ご記憶じゃろうか、何時の頃か川の流れを空に模したか、どこかで糸に繋がれた干物さながらの鯉が川面を覆う風物が人を呼んだことがある。我が子の幸あれと祈らんよりはともに手を繋ぎ祈らんする衆愚思想(衆愚に思想は奇天烈だが衆愚よしとする輩の思いを仮称して)が、あれほど露骨に具現化した例をわしは知らぬ。
いや、ひょっとするとこの日干し鯉の発想は鯉メーカーの企みかも知れぬ。バレンタインの折りのチョコレート屋の伝で、端午の祝いはどこへやら一斉日干し鯉の発想が鯉メーカーの商魂を擽(くすぐ)ったのかも知れぬのじゃ。
さらに詮索すれば、この一斉日干し鯉の風潮は昨今の成人式の様(さま)に酷似しておる。江戸までは遡らずとも一斉に成人を祝おうとの風習は思えばこれも衆愚思想の排泄物に思えてならぬ。ものを一斉に済ませる悪習は悪弊を生むものじゃ。卑近な例ではなにやら質悪の商人が振り袖を持ち逃げして成人式を台無しにしたとか。愚かの極みじゃ。成人たるを祝う想いはよしとして、そのために虚飾に走り手を組み合ってまで一斉に祝う意味はまったくないのじゃ。成人になるとは、個々の想いと願いと心意気を個々に意識し覚悟することじゃ。
同じことが桃や端午の節句にもある。雛壇も皐幟も一家のもの、その家の幼き男児女児の多幸を祈り上げればよいのじゃ。一斉にあれこれする謂われはない。日干し鯉の哀歓極まれりじゃ。
序(つい)でながらさらにひと言お聞きくだされ。桃の節句は女児の祝い事、男児が関わり知らぬ仕来り、同様に端午の節句は男児の祝い事、女児には縁のない仕来りじゃ。真鯉は黒緋鯉は赤、小鯉は青と決まっておる。小鯉は雄の鯉で雌の子鯉はないものじゃ。それが歪(いびつ)な平等主義か男女同権意識か、青色以外の暖色の子鯉が罷り通って処によって日干し鯉に混じっているという。まして、家族全員分の日干し鯉を作って流すに至っては何をか況んや。竿に揚げるのではない、日干し鯉じゃからよかろうと言うなかれ。日本古来の伝統に照らしてこれはすでに日本人の振る舞いではない。
因みに、衆愚思想とは民主主義が劣化する過程で辿(たど)る位相で、将に戦後七十年余を経てわが日本に隠然と蔓延りつつある救いなき思想じゃ。剣呑、剣呑。
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