気味の悪いことはあるものじゃ。初もの食いも闇鍋もさして苦にはならぬ質(たち)が、ここに来て矢鱈薄気味悪い思いをしておる。放射線という。いままで言葉としての理解に限られていたものが俄にわがことになってわしの内心に思わぬストレスを与えておるのじゃ。
放射線と言えば東北の大津波で原発から四散したそれがいまもって尾を引いているが、人ごととは言わぬがわがことじゃないとやり過ごしておった。それがいま、わが身がそれを浴びる事態になって、いや、なんとも気味が悪いのじゃ。
PSA値が上がり気味とて受けた生検が黒と出て、わしは前立腺に癌を飼っておることが判った。その治療に浴びる被害を云々する放射線をこっちからあえて浴びることになるのじゃから、気味の悪さでは済まぬ不条理がわしを苛(さいな)むのじゃ。
初もの食いでも放射線では味わう愉しみなどは皆無、どういうことになるかでは闇鍋の及ぶ処じゃない。ひたすら気味が悪いのじゃ。得体の知れぬことでは将に魑魅魍魎じゃ。
そもそも癌という文字が気味が悪い。康熙字典にはないから和製漢字ではという説はいまは異論とされ、どうやら支那語という定説が落ち着いていると言うが、この字面(じづら)からして気味が悪い。山の上に石が三つ積み重なっているという、何とも塊(かたまり)感のえげつない文字じゃ。そのえげつなさを嫌ってか、わしが世話になる病院は「がんセンター」とあえてこの漢字を避けているのが粋なのじゃが…。
さて、浴びる側にしてみれば行水のように実体がある方がいい。見えも触れもできぬものを浴びるのはどう考えても気味が悪いのじゃ。治療と言うからにはちくりと痛みがあった方が実感があろうと言うもの、放射線を照射するなら患部が燃えたり焼けたり、音や臭いがあってもよさそうだがと言えば、先日の担当技師にただポンポンと操作音がするだけと一笑に伏された。さもありなん、わしとしては八週間、四十回も繰り返す照射治療にいずれは慣らされるじゃろうと思えば、それがまた気味が悪いのじゃ。
あと二日で長丁場の放射線治療が始まる。初体験だけにいらぬ神経を使うのが不本意。さて、終わってみれば枯れ尾花ということになろうか、さらにその先魑魅魍魎が蔓延(はびこ)るのか、すべては「観てのお帰り」ということか、とまれ傘寿を越えて一世一代の放射能の風呂を浴びることになる。風呂上がりの気分はまたの折りに話すことにしようか。
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