私の前立腺のこと、癌奴は変わらず跋扈しながらもどうやら私の心象に変化があって、いま、「こいつら、どう扱うべきか」で私は右往左往している。
右往左往とは言えかし、むしろ心定まらぬ空しい物思いで、背もたれを背に一見泰然と思いに耽(ふけ)るかの風情だ。それというのも、針吹雪以来の経緯でKクリニックのM医師に俗に言うセカンドオピニオンを得たい旨を申し入れ、ならばと県立のがんセンターへ紹介状を用意頂く段取りになった。俗に言うとは、私にして見れば複数の意見をいただきたいとのナイーヴは思いから申し入れたまでで、あんな大事(おおごと)になるとは思いもかけなかったのだ。
わが庵から東へ数キロ、伊奈という部落に鄙には希な病院がある。その名もがんセンターという県立の癌専門病院だ。がんセンターという名称だけで私は内心転院を目論んではいたのだが、紹介状を頼む時点ではK クリニックの、というよりは針吹雪縁(ゆかり)のM医師への気働きから、「転」も仄めかさずセカンドオピニオンをと頼んだのが何と裏目に出たのだ。
携えた紹介状を初診の窓口に差し出す。いかにも承知の風情で引き受けた担当事務員が対応に手間取る様子が気に障る。癌奴をとっちめる手立てを講じる大切ながんセンターの初日だ。無為な時間が流れ、やがて当の事務員が家内になにやら説明する様子を遠目で見ていた私、なんたることかの勢いで歩み寄り割ってはいる。聞けば、紹介状はセカンドオピニオンを依頼するので診療はまかりならぬ、こちらでM医師に了承を得て欲しい云々の戯言(たわごと)。語気鋭く迫っても柳に風、やむなしく家内を鼓舞してようようM医師の了解を取り付けるまでに小半時が経っていた。
担当医の診療室の前に腰を下ろしたときは、すでに予約の刻限をとうに過ぎていた。待つ間に思うよう、セカンドオピニオンなる術語に複数の意見を求めるなどの気さくな意味はないらしい。そうか、患者が右から左へ動くこと、下世話の「客を取られる」か否かの意味合いがあるのかと、私は端なくも嗅(か)ぎ知った。
セカンドオピニオンというキーワードで、近藤某という異色の医師の存在も知った。セカンドオピニオン外来という、なんとも人を食った名のクリニックを訪れる何千という癌患者たちに放置治療を薦めているという。癌そのものよりも治療法を誤ってあたら命を縮めるのは愚の極みだという、癌の専門医たちはその誤った治療に勤しんでいるという手痛い言質で、いま彼らから総スカンを食っているというという。
放置治療なら早期発見とはそも何ぞや、と、癌奴を養いつつ日を送っている私はいま物思いに耽っている。
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