日馬富士の引退で、相撲をめぐる内輪話しが表沙汰になって心ある筋が戸惑っておるようじゃ。何々部屋とか、英語では馬小屋にあたる stable 別に分かれての鍛えの文化が、いまや世間の風潮を追い風に暴力沙汰扱いされておる。
ビール瓶がどうとか、幾針縫ったなどの穏やかでない話しはさておいて、そもそも相撲は部屋に分かれてそれぞれ独自の手法で一門の力士を鍛えてきた。あたかも競馬馬を調教するように、力士は無理偏に拳骨で鍛えられて土俵に耐えられる心技体を拵(こしら)えてきた。
なに部屋だったか、わしは相撲取りたちの稽古場を覗いたことがあり、ビール瓶こそなかったが竹刀が唸り怒号が飛び交う現場の凄まじさにぎょっとした記憶がある。凄まじいとは思ったが、わしはそんな様子を酷(ひど)いとかやり過ぎだとは思わんかった。稽古場に流れる空気とはち切れる緊張感から、わしは思うたのじゃ。無理偏とは兄弟子の思いであり、拳骨とは強くなれよの励ましでは、と。
話しがちょっと逸れるが、幼い頃、村の小学校では運動会に部落対抗のリレーがあったのじゃ。わしの村は数個の部落に分かれておった。部落とは言え例の差別的なものではない村落単位の地区がそれぞれ独自の名称を名乗っておったのじゃ。この部落対抗のリレーに備えて、各部落で足の速い子供が選ばれて窃(ひそ)かに練習したのじゃが、ほかの部落に知られぬように薄暮から道ばたに灯油ランプを並べて、結構大まじめに声を掛け合ってバトン渡しなどの訓練しておった。そこにはある種の緊張感と目的意識が絡み合っての、まあ鍛錬の美学がちらりと見えたのじゃ。
相撲の稽古場とは場違いじゃが、部落対抗の夜間訓練にも相当の無理偏ムードがあった。ほかの部落に負けまいとの情念は、そのために無理も苦労も忍ぼうではないか、という心根が通奏低音が響いておった。わしの部落などでは、その高揚感からじつは応援歌さえできていたのじゃ。『天上遙かに秩父の山は…』という歌詞なども、いま思い起こせば懐かしい限りじゃ。選ばれて走る子供に、応援に回る子供、それに今も昔も父母から眷属までが乗り込む「部落対抗」じゃった。勝つために鍛えることの苦楽が濃縮しておった。鍛錬の美学ここにあり、と言ったところじゃ。
えらく話しが散ってしまったが、わしはその鍛錬の美学、キャッチ風に言えば『無理偏に拳骨』の美学という側面が、このたびの日馬富士事件でまったく悪玉と化していることに、ささやかな異を唱えたいのじゃ。ビール瓶などは論外、幾針縫った云々は話しにはならないが、古来神事として育ち上がってきた相撲が追い求めるべき『力』の具象化に、その権化たる力士の鍛錬にその美学があって何が悪い、というのがわしの思いじゃ。
相撲の世界では、時には暴力紛(まが)いの鍛錬の仕方に「かわいがり」というのかあるようじゃ。先の竹刀の鞭がそれに入るとすれば、わしは「かわいがり」も良かろうと思う。これが木刀になりビール瓶になると、これは明らかに度を超えておる。その境目がどの辺なのか、それが問題じゃ。わしはビール瓶が出たから竹刀も駄目だ、という意見には組みしない。名刀の鍛えには熱いうちの鉄の鍛錬があるのじゃから。
このたびの一件は、モンゴル集団が「かわいがり」の何たるかを理解せぬまま矩(のり)を越えたとしか思えぬ。相撲そのものが、そもそも部落別ならぬ部屋別の集団鍛錬方式で成り立っておるのじゃから、平べったい人権論や無分別な自由意識を振り上げて無理偏に拳骨を全否定しては身も蓋もなかろうというものじゃ。
いかに巧みに日本語を操っても(じつはモンゴル力士の日本語力については英語講釈で取り上げて見たいと思っておったのじゃが)、モンゴルの力士たちには日本の文化の深い部分は分かっていないようじゃ。無理偏に拳骨などもいわば文化だから、あの人たちは「かわいがり」文化のごく一面を妙に学習して実践したに違いないのじゃ。日馬富士は引退会見でそんなことを言っておったではないか。千秋楽でのしたり顔の喋りなどを聞いても、白鴎もまた威張れたモノじゃない。「星まわし」の噂なども、うっかりすると八百長の「文化」を妙にカシコく学習してのことかも知れぬ。
大相撲はいま十字路に立っておるようじゃ。そもそも協会自体の機能的存在理由が分からん。これからあれこれと『刷新』が叫ばれようが、わしは相撲に取り憑いておる古来の風習を下手にいじくり回して、今風な感覚で骨抜きにして欲しくないのじゃ。大らかな無理偏に拳骨ぐらいはいいじゃないか、と。ただし、モンゴルに人たちにはそのややこしい意味をじっくり分かって貰わないとならぬ。わしはさほど悲観してはおらぬ。あれほど日本語を巧みに覚える連中じゃ、その辺の呼吸はきっと分かって貰えるじゃろうから。
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