『朝方、雨っぽかったけど、私が旗を掲げたら途端に晴れたの』、寝過ごした私に妻の嬉々とした声。旗日(はたび)?そうか、今日は新嘗(にいなめ)…いや勤労感謝の日だな、と玄関先の日の丸に目をやる。洋風ならそれは Thanksgiving、これはひとつ久し振りに女房孝行をしてやろうと思い立つ。思い立ったが吉日とか…。
そんな気配をどうやら感じ取ったか、『旨いものを食いに行かぬか』のひと言で、あきる野の『黒茶屋』に即決。何でも川魚の塩焼きがいい、とのことで、川魚でいいのかフランス料理ではないのかと問いただす暇もなく、楚々と身支度するではないか。ならば、と応分の身なりを整えてNボックスへ。(長年のホンダ贔屓、Nボックスは今代のわが家の愛車だ。)
黒茶屋とはどんな茶屋か、と訝(いぶか)る私を尻目に、滅法上機嫌な妻は日頃より軽げにハンドルを捌く。どうやら、ほどほどの食事場のようである。じつは川魚が食べたかったんだと再三のつぶやき。川魚は生臭いからと言いたいところを抑えて、『上流のイワナやヤマメはさっぱりしてるかも』などと、心にもない合いの太鼓を叩きながら、私は観念の臍を固める。
窓外に武蔵野の秋を愛でながら、一時間余も早めにあきる野辺に着いてしまった。圏央道がわが家近くにランプを開いたせいである。これは時間を持て余すかと思いきや、この茶屋は周囲に味のある店々を広げていではないか。ちょっとした甘味から漬け物、手芸品や竹細工など、ついぞ見かけない多彩な品物を並べて客を飽きさせない。
すでに足元が暗がっていたから、下駄履きに杖の私は遠慮したが、さらに石段を降った辺りに東間などを開き、竹林の粋を味わえる場所があるとか。妻は早速検分に行き、戻って撮ったスマホを見せる。たしかに乙な風情だ。それなら私もと、薄暗闇を数歩降りかけて途端に諦める。傍らの休み椅子に座って遙か下方を眺め、なるほど面白そうな設(しつら)えが見えるのをたしかめて、『なかなかどうして、相当な仕掛けだな』と感心。
未だ、予約には二十分早いながら、ものは試しと早めの到着を謝して都合を聞けば、私の作務衣風情が効いたのかしばらくお待ちを、と茶屋内の小部屋に誘(いざな)われた。待つことしばし、私の足回りを心配してか近場の部屋を用意したが、とお女中の話。こ意地を張っていや予約通りの部屋をと伝える。ならばこちらへと、お女中の手引きで数段下の瀟洒な部屋に収まった。
隣にほかに一席があって、和やかな会話が聞こえる。昨日今日の日馬富士話しに花が咲き、誰がどうしたこうしたと、聞かずとも聞こえてくる会話の面白さ。やがて、先ほどとは違うお女中が来て来店を謝し料理の段取りをしてくれる。(後刻気づいたことだが、茶屋のお女中たちはコースそれぞれの料理ごとに別人が現れた。なかなの知恵者が支配していることだ、と大いに感心する。)
さて、『黒茶屋』の川魚料理である。松竹梅の具合は知らぬが、柿の白あえなど色とりどりの前菜に次いで、メインは華やかな具材を備長炭火で焼き上げるコース料理だ。一寸弱のヤマメを一対、鴨肉、それにキノコ、ねぎ、ピーマンなどが各串刺して添えてある。垂れが絶品、甘辛味とフルーツ味とか。
ヤマメは塩焼きで垂れいらず、櫛からの直食いで味わい深いことこの上なし。生臭いなどは毛ほどもなく、わが無粋は平にお許し頂かねばならない。締めはよもぎうどん。『黒茶屋』の川魚料理の大団円である。『フランス料理はといわれても、私はこれを選びたい』とは妻の述懐。私はひたすら川魚の不明を恥じるのみで、内心思うよう、『この程度のお代でこれほどの馳走になるなら、季節を選んでまた連れて来ようか。』
茶屋の帰り際に、番頭さんにどうして黒かと訊ねたところ、土地の土壌が黒色だったことが由来との話し、それで内装が黒尽くしなのかと納得。川魚料理もさることながら、茶屋の造りの粋にずんと感じ入った。今年の新嘗祭は、こうして『黒茶屋』の川魚料理が止(とど)めになった次第。
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