わしは諍(いさか)いは好まぬ。ものごと、ほぼなるようになるものだ、と思っておる。右と左の釣り合い然り、上下の案配また然り、ものごと、自然に依ればすべて穏やかに収まるべき処に収まるとしたものだ、と思っておる。だから、その自然の波を逆立てる諍いをわしは好まぬ。が、わが身の安寧が故なく乱されるときは、毅然として諍い、理を貫く矜持は溢れるほど持っておる。
わしが六歳の時、日本は日米開戦の挙に出た。真珠湾の急襲、sneak attack と謂われ後世とかくの物議を醸(かも)すことになる果敢な先制攻撃を仕掛けた。剣法なら鮮やかな小手一本、アメリカは隻手(せきしゅ)に深手を受けて大いにたじろいだ。まだ十歳に満たぬ小国民ながら、わしはその時一国が一旦緩急あれば奮い立つ姿を目の当たりにした。『日本が立ち上がった』。
そうして起こった戦がどう展開したか、どう結末したかを語ろうとは思わぬ。長じてから知った開戦に至るからくりも、だからこそ柴犬が大熊に挑みもした政治力学をも詮索しようとは思わぬ。ただ、その諍いの後に大熊は柴犬を怖れるあまり、これを檻に閉じ込める術を覚え、哀れ柴犬は囲われる生き様に慣れて牙さえも萎え、檻近くににじり寄る野獣を見ればひたすら大熊の武を恃むという、世にも哀れな飼い犬になり果てる現実が残ったのじゃ。
多くは語るまい。大熊とはアメリカのこと、柴犬とはわが日本のことじゃ。真珠湾で受けた隻手の痛みを片時(かたとき)も忘れず七十有余年、アメリカは北鮮の核の恫喝に晒される日本を『核の傘』という名の檻に囲い込み、日本には核は愚か自前の武装さえも許さず、暦年ひたすら自国製の武器売り込みに勤しんで來おった。日本はといえば、牙を抜かれた柴犬然と、諾としてアメリカの意に従い、毫も逆らわず、歴代のわが政府は檻中の惰眠を貪(むさぼ)ってきたのじゃ。世に謂う保守論者たちも、軽口には無策の左翼を責めながら自ら『日本、牙を備うべし』と唱えるは愚か、核を含む自力の戦力保持を大らかに主張する者など一人としておらぬ。況んや、アメリカに向かって単独武装の志を披瀝するなどは、瞬時とてもなかったのじゃ。
伝え聞くところでは、いま声高に America First を唱える米大統領ドナルド・トランプは、牙なき日本の維持に腐心する estabishment とは一線を画すとか。大統領選中、日本は核武装すべしとすら主張したトランプ氏のことじゃ。政権内にいざこざを抱えながら、政治力学の帰趨によっては日本は檻から出るべきだとtweet するやも知れぬ。America First といい Make America Great Againと叫ぶ傍ら、トランプ氏は日本の国防上の独立独歩を後押しするやも知れぬのじゃ。
われわれはその 一片の tweet を見逃してはならぬ。畢竟、外交に国力は不可欠じゃ。国力とは経済力に加うるに相応の戦力、国危うき時に国土を守り国民を救うに足る十分な『筋力』じゃ。日本は柴犬でよし。精悍で賢く、誠実な柴犬でよいのじゃ。過去の轍を踏まず、唯々鋭い牙をいや鋭く磨き、夢にも牙を抜かれるが如き愚を再び犯してはならぬ。
幸いわが安倍首相はトランプ氏と馬が合うそうじゃ。ケミストリーとはよく言うたもので、訪日時の振る舞いにもそれが如実に見える。日米安保体制の刷り直しに向けて、二人の間によき化学反応生まれかしと祈るばかりじゃ。
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